正法眼蔵随聞記 / 巻五
亦云く、人の心は決定人の言ばに隨ふと存す、大論に云く、喩へば愚人の手に摩尼珠をもてるが如し、人是を見て汝下劣なり、自ら手に物をもてりと云を聞て、おもはく、珠はをしゝ、名聞は深し、我は下劣ならんとおもふ、思ひ煩ふて猶を只名聞にひかれ、人の言ばについて珠を捨て他人にとらしめんと思ふほどに、終に珠を失ふと云々、
新字:亦云く、人の心は決定人の言ばに随ふと存す、大論に云く、喩へば愚人の手に摩尼珠をもてるが如し、人是を見て汝下劣なり、自ら手に物をもてりと云を聞て、おもはく、珠はをしゝ、名聞は深し、我は下劣ならんとおもふ、思ひ煩ふて猶を只名聞にひかれ、人の言ばについて珠を捨て他人にとらしめんと思ふほどに、終に珠を失ふと云々、
書き下し
亦云く、人の心は決定人の言ばに随ふと存す、大論に云く、喩へば愚人の手に摩尼珠をもてるが如し、人是を見て汝下劣なり、自ら手に物をもてりと云を聞て、おもはく、珠はをしゝ、名聞は深し、我は下劣ならんとおもふ、思ひ煩ふて猶を只名聞にひかれ、人の言ばについて珠を捨て他人にとらしめんと思ふほどに、終に珠を失ふと云々、
現代語訳
また言われた。人の心は決まって人の言葉に随うものだと思う。『大智度論』に言う、たとえば愚かな人が手に摩尼の珠を持っているようなものである。人がこれを見て、おまえは下劣だ、自ら手に物を持っているではないかと言うのを聞いて、思うには、珠は惜しい、名聞は深い、自分は下劣であろうと思う。思い煩って、なおただ名聞に引かれ、人の言葉について珠を捨てて他人に取らせようと思ううちに、ついに珠を失うのだ、と。
解説
宝を持っている者が、下劣だと言われて手放してしまう話である。惜しいと思いながら、名聞のほうが深いために言葉に従ってしまう。人の心は言葉に随うという命題の実例として引かれ、次の段で、その性質を逆に使えという議論に転じていく。
この章句が説くこと
名聞言葉執着摩尼珠大論愚人
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