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正法眼蔵随聞記 / 巻一

一日示して云く、人其家に生れ、其道に入らば、先づ其家業を修すべしと知るべきなり、我道にあらず己が分にあらざらんことを知り修すれば卽ち非なり、今も出家人として、便ち佛家に入り僧侶とならば、須く其業を習ふべし、其業を習ひ其儀を守ると云は、我執をすてゝ知識の教に隨ふなり、其大意は食欲無きなり、貪欲なからんと思はヾ、先づ須く吾我を離るべきなり、吾我を離るゝには、無常を觀ずる、是れ第一の用心なり、

新字:一日示して云く、人其家に生れ、其道に入らば、先づ其家業を修すべしと知るべきなり、我道にあらず己が分にあらざらんことを知り修すれば即ち非なり、今も出家人として、便ち仏家に入り僧侶とならば、須く其業を習ふべし、其業を習ひ其儀を守ると云は、我執をすてゝ知識の教に随ふなり、其大意は食欲無きなり、貪欲なからんと思はヾ、先づ須く吾我を離るべきなり、吾我を離るゝには、無常を観ずる、是れ第一の用心なり、

書き下し

一日示して云く、人其家に生れ、其道に入らば、先づ其家業を修すべしと知るべきなり、我道にあらず己が分にあらざらんことを知り修すれば即ち非なり、今も出家人として、便ち仏家に入り僧侶とならば、須く其業を習ふべし、其業を習ひ其儀を守ると云は、我執をすてゝ知識の教に随ふなり、其大意は食欲無きなり、貪欲なからんと思はヾ、先づ須く吾我を離るべきなり、吾我を離るゝには、無常を観ずる、是れ第一の用心なり、

現代語訳

ある日示して言われた。人はその家に生まれ、その道に入ったなら、まずその家業を修めるべきだと知らねばならない。自分の道でなく、自分の分でもないことを知りながら修めるのは、それだけで非である。今も出家人として、そのまま仏家に入り僧侶となったなら、まさにその業を習うべきである。その業を習い、その儀を守るというのは、我執を捨てて善知識の教えに随うことである。その大意は、貪欲がないということである。貪欲がないようにと思うなら、まずすべからく我執を離れるべきである。我執を離れるには、無常を観ずること、これが第一の用心である。

解説

家業という日常の言葉から入って、出家の本分へ、さらに我執と無常へと降りていく運びになっている。分に合わないことをするのは、努力が足りないのではなく初めから非だという言い切りが厳しい。我執を離れる具体的な手だてとして無常観が置かれるのは随聞記の型で、抽象的な心構えではなく、日々の観察の作法として示されている。

この章句が説くこと

家業我執無常貪欲善知識

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