正法眼蔵随聞記 / 巻五
內典も亦かくの如し、然あるに今の學人僧侶は、智慧法門を以て人に勝つべきと思ふなり、必ずしも此を以て驕ることなかれ、我より劣れる人のうへの非義を云ひ、或は先人傍輩等の非義をしりて誹謗するは、是れ驕奢のはなはだしきなり、古人の云く智者の邊にしては負くるとも、愚者の邊にして勝つべからずと云々、我れがよく知たる事を、人の惡く心得たりとも、他の非を云ふは亦是れ我れが非なり、法門をいふとも先人先輩を誹らず、亦愚癡矇昧なる人の羨み嫉みつべきところにては、能々是を思惟すべし、
新字:内典も亦かくの如し、然あるに今の学人僧侶は、智慧法門を以て人に勝つべきと思ふなり、必ずしも此を以て驕ることなかれ、我より劣れる人のうへの非義を云ひ、或は先人傍輩等の非義をしりて誹謗するは、是れ驕奢のはなはだしきなり、古人の云く智者の辺にしては負くるとも、愚者の辺にして勝つべからずと云々、我れがよく知たる事を、人の悪く心得たりとも、他の非を云ふは亦是れ我れが非なり、法門をいふとも先人先輩を誹らず、亦愚痴矇昧なる人の羨み嫉みつべきところにては、能々是を思惟すべし、
書き下し
内典も亦かくの如し、然あるに今の学人僧侶は、智慧法門を以て人に勝つべきと思ふなり、必ずしも此を以て驕ることなかれ、我より劣れる人のうへの非義を云ひ、或は先人傍輩等の非義をしりて誹謗するは、是れ驕奢のはなはだしきなり、古人の云く智者の辺にしては負くるとも、愚者の辺にして勝つべからずと云々、我れがよく知たる事を、人の悪く心得たりとも、他の非を云ふは亦是れ我れが非なり、法門をいふとも先人先輩を誹らず、亦愚癡矇昧なる人の羨み嫉みつべきところにては、能々是を思惟すべし、
現代語訳
内典もまたこのとおりである。しかるに今の学人や僧侶は、智慧や法門をもって人に勝とうと思う。決してこれをもって驕ってはならない。自分より劣った人の非を言い、あるいは先人や同輩の非を知って誹謗するのは、驕奢のはなはだしいものである。古人は言った、智者のもとでは負けても、愚者のもとで勝ってはならない、と。自分がよく知っている事を、人が誤って心得ていたとしても、他人の非を言うのはまた自分の非である。法門を説くときも先人先輩を誹らず、また愚痴で蒙昧な人が羨み嫉みそうな場では、よくよくこれを思うべきである。
解説
この章句が説くこと
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