正法眼蔵随聞記 / 巻四
我れ始てまさに無常によりて、聊か道心を發し、終に山門を辭して遍く諸方を訪ひ、道を修せしに、建仁寺に寓せし中間、正師にあはず、善友なき故に、迷て邪念を起しき、教道の師も先つ學問先達にひとしくして、よき人と成り、國家にしられ、天下に名譽せん事を教訓する故に、教法等を學するにも、先つ此の國の上古の賢者にひとしからんことを思ひ、大師等にも同じからんと思ひき、因に高僧傳、續高僧傳等を披見して、大唐の高僧、佛法者の樣子を見しに、今の師のをしへの如くにはあらず、亦我が起せるやうなる心は、皆經論傳記等にはいとひにくみけりと思ひしより、
新字:我れ始てまさに無常によりて、聊か道心を発し、終に山門を辞して遍く諸方を訪ひ、道を修せしに、建仁寺に寓せし中間、正師にあはず、善友なき故に、迷て邪念を起しき、教道の師も先つ学問先達にひとしくして、よき人と成り、国家にしられ、天下に名誉せん事を教訓する故に、教法等を学するにも、先つ此の国の上古の賢者にひとしからんことを思ひ、大師等にも同じからんと思ひき、因に高僧伝、続高僧伝等を披見して、大唐の高僧、仏法者の様子を見しに、今の師のをしへの如くにはあらず、亦我が起せるやうなる心は、皆経論伝記等にはいとひにくみけりと思ひしより、
書き下し
我れ始てまさに無常によりて、聊か道心を発し、終に山門を辞して遍く諸方を訪ひ、道を修せしに、建仁寺に寓せし中間、正師にあはず、善友なき故に、迷て邪念を起しき、教道の師も先つ学問先達にひとしくして、よき人と成り、国家にしられ、天下に名誉せん事を教訓する故に、教法等を学するにも、先つ此の国の上古の賢者にひとしからんことを思ひ、大師等にも同じからんと思ひき、因に高僧伝、続高僧伝等を披見して、大唐の高僧、仏法者の様子を見しに、今の師のをしへの如くにはあらず、亦我が起せるやうなる心は、皆経論伝記等にはいとひにくみけりと思ひしより、
現代語訳
わたしは初めてまさに無常によって、いささか道心を起こし、ついに山門を辞して広く諸方を訪ね、道を修めたが、建仁寺に身を寄せていた間、正しい師に逢わず、善き友がいなかったゆえに、迷って邪な念を起こした。教えの道の師も、まず学問で先達に等しくなり、よい人となって国家に知られ、天下に名誉を得ることを教え諭したので、教えの法などを学ぶにも、まずこの国の上古の賢者に等しくなることを思い、大師たちにも同じくなろうと思った。ちなみに『高僧伝』『続高僧伝』などを開き見て、大唐の高僧、仏法者のありさまを見たところ、今の師の教えのようではなかった。また自分が起こしているような心は、みな経論や伝記などでは厭い憎んでいたのだと思ったことから、
解説
この章句が説くこと
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