正法眼蔵随聞記 / 巻一
此の如く案じつゞけて、思ひ切て晝夜端坐せしに、一切に病ひ發らず、今各も一向に思ひきりて修して見よ、十人は十人ながら得道すべきなり、先師天童の勸めかくの如し、
新字:此の如く案じつゞけて、思ひ切て昼夜端坐せしに、一切に病ひ発らず、今各も一向に思ひきりて修して見よ、十人は十人ながら得道すべきなり、先師天童の勧めかくの如し、
書き下し
此の如く案じつゞけて、思ひ切て昼夜端坐せしに、一切に病ひ発らず、今各も一向に思ひきりて修して見よ、十人は十人ながら得道すべきなり、先師天童の勧めかくの如し、
現代語訳
このように考え続けて、思い切って昼も夜も端坐していたところ、いっこうに病が起こらなかった。今、みなも一向に思い切って修めてみよ。十人は十人ながら得道するはずである。先師天童の勧めはこのようであった。
解説
覚悟の話が、実際に病が起こらなかったという結果で締めくくられる。因果を保証しているのではなく、恐れて手加減していたときのほうが体調に振り回されていたという経験の報告である。十人が十人ながらと言い切って、才の差を持ち出す逃げ道を最後に塞いでいる。前条から続く長い自問の着地点にあたる。
この章句が説くこと
覚悟坐禅実践得道恐れ天童
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