正法眼蔵随聞記 / 巻一
有人問て云く、名利の二道は捨離し難しと云へども、行道の大なる礙りなれば、捨てずんばあるへからず、故へに是れを拾つ、衣糧の二事は小緣なりと云へとも、行者の大事なり、糞掃衣常乞食は是れ上根の所行、亦是西天の風流なり、神丹の叢林には常住物等あり、故に其煩ひ無し、我か國の寺院には常住物なし、乞食の儀も卽ち絕て傳はらず、下根不堪の身いかゞせん、然あらば予が如きは檀信の信施を貪らんとするも、虛受の罪隨ひ來る、田商士工を營むは是れ邪命食なり、只天運に任せんとすれば果報亦貧道なり、飢寒來らん時是を愁ひとして行道を擬へつべし、
新字:有人問て云く、名利の二道は捨離し難しと云へども、行道の大なる礙りなれば、捨てずんばあるへからず、故へに是れを拾つ、衣糧の二事は小縁なりと云へとも、行者の大事なり、糞掃衣常乞食は是れ上根の所行、亦是西天の風流なり、神丹の叢林には常住物等あり、故に其煩ひ無し、我か国の寺院には常住物なし、乞食の儀も即ち絶て伝はらず、下根不堪の身いかゞせん、然あらば予が如きは檀信の信施を貪らんとするも、虚受の罪随ひ来る、田商士工を営むは是れ邪命食なり、只天運に任せんとすれば果報亦貧道なり、飢寒来らん時是を愁ひとして行道を擬へつべし、
書き下し
有人問て云く、名利の二道は捨離し難しと云へども、行道の大なる礙りなれば、捨てずんばあるへからず、故へに是れを拾つ、衣糧の二事は小縁なりと云へとも、行者の大事なり、糞掃衣常乞食は是れ上根の所行、亦是西天の風流なり、神丹の叢林には常住物等あり、故に其煩ひ無し、我か国の寺院には常住物なし、乞食の儀も即ち絶て伝はらず、下根不堪の身いかゞせん、然あらば予が如きは檀信の信施を貪らんとするも、虚受の罪随ひ来る、田商士工を営むは是れ邪命食なり、只天運に任せんとすれば果報亦貧道なり、飢寒来らん時是を愁ひとして行道を擬へつべし、
現代語訳
ある人が問うて言った。名と利の二つの道は捨て離れがたいと言っても、道を行ずるうえで大きな妨げであるから、捨てないわけにはいかない。それゆえこれを捨てました。衣と食の二つは小さな縁だと言っても、行者にとっては大事です。糞掃衣と常乞食は上根の者の行いであり、またこれは天竺の風儀です。中国の叢林には常住物などがあるので、その煩いがありません。わが国の寺院には常住物がなく、乞食の作法もすでに絶えて伝わっていません。下根で堪えられない身は、どうすればよいのでしょうか。そうであれば、私のような者が檀信の施しを貪ろうとするのも、いたずらに受ける罪が付いてまいります。田を耕し商いをし士工を営むのは邪命食です。ただ天運に任せようとすれば果報もまた貧しい。飢えと寒さが来るとき、これを愁いとして道を行ずることをためらってしまうでしょう。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻一仏教のすゝめに随はゞ、乞食等を行ずべきか、如何ん、答ふ、然あるべし、たゞし是れは土風に随て斟酌あるべし、なににても利生も広く、我が行もすゝまんかたにつくべきなり、是らの作法通路不浄にして、仏衣を着して経行せばけがれつべし、亦人民貧窮にして、次第乞食もかなふべからず、行道も退きつべく、利益も広からざらんか、只土風をまもり、尋常に仏道を行じ居たらば、上下の輩がら自ら供養を作し、自行化他成就せん、此の如きの事も、時に臨み、事に触て、道理を思量して、人目を思はず、自らの益を忘て、仏道利生の為に能やうに計ふべし、
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『正法眼蔵随聞記』巻三僧の云く、唐土の寺院には定まりて僧祇物あり、常住物等ありて、置れたれは、僧の為に行道の資縁となりて、其の煩ひなし、此の国は其の義なければ、一向捨棄せられては、中中行道の違乱とやならん、かくの如くの衣食資縁を思ひあてゝあらばよしと覚ゆ、いかん、示して云く、然あらば、中中唐土よりは、此の国の人は、無理に僧を供養し、非分に人に物を与ふることあるなり、先つ人は知らず、我れは此の事を行じて道理を得たるなり、一切一物も持たす、思ひあてがふことも無ふして十余年過き了りぬ、一分も財を貯へんと思ふこそ大事なれ、僅の命をいくるほどのことは、いかにと思ひ貯へざれども、天然としてあるなり、人皆な生分あり天地是れを授く、我れ走り求めざれども必ず有なり、況や仏子は如来遺囑の福分あり、不求自得なり、只一向にすてゝ道を行せば、天然にこれあるべし、是れ現證なり、
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『正法眼蔵随聞記』巻六雑話の次でに示して云く、学道の人衣食にわづらふことなかれ、此の国は辺地小国なりといへども、昔も今も顕密の二教に名を得後代にも人にも知られたる人おほし、或は詩歌管絃の家、文武学芸の才、其道を嗜む人もおほし、かくの如き人々未だ一人も衣食に豊かなりと云ことを聞かず、皆貧を忍び他事を忘れて、一向に其の道を好むゆゑに、其の名をも得るなり、いはんや祖門学道の人は、渡世を捨てゝ一切名利に走らず、何とかして豊かなるべきぞ、
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『正法眼蔵随聞記』巻一或人諫めて云く、你が行儀はなはだし、時を知らす機をかへり見ざるに似たり、下根なり、末世なり、がくの如く修行せば、亦退転の因縁となりぬべし、或は、一檀那をも相かたらひ、若しは一外護をもちぎりて、閑居静処にして、一身をたすけて衣糧に煩ふこと無く静に仏道を行ずべし、是れ便ち財物等を貪るに非ず、暫時の活計を具して修行すべしと、此の詞を聞くと云へどもいまだ信用せず、かくの如きの用心いかん、
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『正法眼蔵随聞記』巻一答て云く、但夫れ衲子の行履、仏祖の家風を学ぶべし、三国ことなりといへども、真実学道の者いまだ此の如きの事あらず、只心を世事に執着すること莫れ、一向に道を学すべきなり、仏の言く、衣鉢の外は寸分も貯へざれ、乞食の余分は飢たる衆生に施せ、設ひ受け来るとも寸分貯ふべからず、況や馳走あらんや、外典に云く、朝に道を聞て夕べに死すとも可なりと、設ひ飢に死に寒い死すとも、一日一時なりとも仏教に随ふべし、万劫千生幾回か生じ幾度か死せん、皆な是れ世縁妄執の故へなり、今生一度仏制に随て餓死せん、是れ永劫の安業なるべし、
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『正法眼蔵随聞記』巻六示して云く、学道の人衣食を貪ることなかれ、人々皆食分あり、命分あり非分の命食を求るとも得べからず、況や学仏道の人にはおのづから施主の供養あり、常乞食たゆべからず、亦常住物もこれあり、私の営みにあらず、果蔬と乞食と信心施との三種の食は、皆な是れ清浄食なり、其の余の田商士工の四種の食は、皆不浄の邪命食なり、出家人の食分にあらず、