正法眼蔵随聞記 / 巻一
懷奘問て云く、叢林學道の儀式は百丈の清規を守るべきか、然あれば彼れはじめに受戒護戒を以て先とすと見れたり、亦今の傳來相承は根本戒をさつくとみれたり、當家の口訣面授にも、西來相傳の戒を學人にさづく、是便ち今の菩薩戒なり、然あるに今の戒經に日夜に是を誦ぜよと云へり、何ぞ誦ずるを捨てしむるや、
新字:懐奘問て云く、叢林学道の儀式は百丈の清規を守るべきか、然あれば彼れはじめに受戒護戒を以て先とすと見れたり、亦今の伝来相承は根本戒をさつくとみれたり、当家の口訣面授にも、西来相伝の戒を学人にさづく、是便ち今の菩薩戒なり、然あるに今の戒経に日夜に是を誦ぜよと云へり、何ぞ誦ずるを捨てしむるや、
書き下し
懐奘問て云く、叢林学道の儀式は百丈の清規を守るべきか、然あれば彼れはじめに受戒護戒を以て先とすと見れたり、亦今の伝来相承は根本戒をさつくとみれたり、当家の口訣面授にも、西来相伝の戒を学人にさづく、是便ち今の菩薩戒なり、然あるに今の戒経に日夜に是を誦ぜよと云へり、何ぞ誦ずるを捨てしむるや、
現代語訳
懐奘が問うて言った。叢林で学道する儀式は、百丈の清規を守るべきでしょうか。そうであれば、あの清規は初めに受戒と護戒をもって先とすると見えます。また今の伝来相承では、根本戒を授けると見えます。当家の口伝面授でも、西来相伝の戒を修行者に授けます。これがすなわち今の菩薩戒です。それなのに今の戒経には、日夜これを誦せよと言っています。それなのになぜ、誦することを捨てさせるのですか。
解説
前条の「戒経を誦するのをやめさせた」という話を受けて、記録者である懐奘が正面から食い下がる場面である。清規も相承も菩薩戒も、みな受戒と護戒を先に置いているという典拠を三つ並べて詰め寄っており、随聞記が一方的な訓話集ではなく問答の記録であることがよく分かる。百丈の清規は禅院の生活規則で、道元が終生よりどころとしたものである。
この章句が説くこと
問答戒律規律受戒菩薩戒百丈清規
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