正法眼蔵随聞記 / 巻一
亦云く、此斬猫卽是佛行なり、喚て何とか云べき、云く、喚て斬猫と云べし、奘云く、是れ罪相なりや否や、云く罪相なり、奘云く、なにとしてか脫落せん、云く、別別無見なり、云く別解脫戒とはかくの如きを云か、云く然り、亦云く、たゞしかくの如きの料簡、たとひ好事なりとも無らんにはしかじ、
新字:亦云く、此斬猫即是仏行なり、喚て何とか云べき、云く、喚て斬猫と云べし、奘云く、是れ罪相なりや否や、云く罪相なり、奘云く、なにとしてか脫落せん、云く、別別無見なり、云く別解脫戒とはかくの如きを云か、云く然り、亦云く、たゞしかくの如きの料簡、たとひ好事なりとも無らんにはしかじ、
書き下し
亦云く、此斬猫即是仏行なり、喚て何とか云べき、云く、喚て斬猫と云べし、奘云く、是れ罪相なりや否や、云く罪相なり、奘云く、なにとしてか脫落せん、云く、別別無見なり、云く別解脫戒とはかくの如きを云か、云く然り、亦云く、たゞしかくの如きの料簡、たとひ好事なりとも無らんにはしかじ、
現代語訳
また言われた。この斬猫はすなわち仏行である。呼んで何と言うべきか。言う、呼んで斬猫と言うべきである。懐奘が言った。これは罪の相でしょうか、そうではないのでしょうか。言われた。罪の相である。懐奘が言った。ではどのようにして脱落するのですか。言われた。別のもの、別のものとして見ないのである。言った。別解脱戒とはこのようなことを言うのですか。言われた。そのとおりである。また言われた。ただし、このような理屈の詮索は、たとえ好い事であっても、ないほうがましである。
解説
斬猫は仏行だと言い、同時に罪の相でもあると言う。仏行と罪相を別々のものとして立てないところが答えの要で、そこに別解脱戒の名を重ねている。そして最後に、この問答そのものを「無らんにはしかじ」と切って捨てる。長い議論の締めくくりが議論の否定になっており、随聞記が理屈で仕上げることを警戒する書であることがはっきり出ている。
この章句が説くこと
仏行罪理屈別解脱戒公案料簡
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