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正法眼蔵随聞記 / 巻二

もし病貧艱難にして、或は乞食し、あるひは果蔬等を食して、常に飢饉して學道せんに、是れを聞て、若し一人も來り學せんと思ふ人あらんこそ、誠との道心者、佛法興隆ならめとおぼゆれ、艱難病貧によりて、もし一人もなからんと、衣食ゆたかにして、諸人あつまりて、佛法の無からんとは、只八兩と半斤となり、

新字:もし病貧艱難にして、或は乞食し、あるひは果蔬等を食して、常に飢饉して学道せんに、是れを聞て、若し一人も来り学せんと思ふ人あらんこそ、誠との道心者、仏法興隆ならめとおぼゆれ、艱難病貧によりて、もし一人もなからんと、衣食ゆたかにして、諸人あつまりて、仏法の無からんとは、只八両と半斤となり、

書き下し

もし病貧艱難にして、或は乞食し、あるひは果蔬等を食して、常に飢饉して学道せんに、是れを聞て、若し一人も来り学せんと思ふ人あらんこそ、誠との道心者、仏法興隆ならめとおぼゆれ、艱難病貧によりて、もし一人もなからんと、衣食ゆたかにして、諸人あつまりて、仏法の無からんとは、只八両と半斤となり、

現代語訳

もし病み、貧しく、苦しい中で、あるいは乞食し、あるいは木の実や野菜などを食べて、常に飢えながら道を学ぶとして、これを聞いて、もし一人でも来て学ぼうと思う人があるならば、それこそまことの道心者であり、仏法の興隆であろうと思われる。苦難と病と貧しさによって、もし一人もいないというのと、衣食が豊かで人々が集まって、仏法が無いというのとは、ただ八両と半斤である。

解説

八両と半斤はどちらも同じ重さで、優劣がないという意味の言い回しである。ここでは、苦しくて誰も来ないことと、豊かで大勢来るが仏法が無いことを同列に置く。そのうえで、苦難を聞いてなお来る一人があれば興隆だと言う。人数でも条件でもなく、何を聞いて来たかで測るという基準が、前条と対になって示されている。

この章句が説くこと

興隆道心乞食一人八両半斤

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