正法眼蔵随聞記 / 巻五
この言ば一度聞たらば、重て聞べからずと思ふことなかれ、道心一度起したる人も、同じ事なれども、聞たびごとに心みがゝれて、いよいよ精進するなり、亦無道心の人も、一度二度こそつれなくとも、度々聞ぬれば霧露の中を行くが如く、いつぬるゝとも覺えざれども、自然に衣のうるほふが如くに、良人の言ばをいくたびも聞けば、自然にはづる心も起り、實の道心も起るなり、故に知たる上にも聖教をばいくたびも見るべし、師の言ばも聞たる上にも、重て聞べし、いよいよふかき心有べきなり、
新字:この言ば一度聞たらば、重て聞べからずと思ふことなかれ、道心一度起したる人も、同じ事なれども、聞たびごとに心みがゝれて、いよいよ精進するなり、亦無道心の人も、一度二度こそつれなくとも、度々聞ぬれば霧露の中を行くが如く、いつぬるゝとも覚えざれども、自然に衣のうるほふが如くに、良人の言ばをいくたびも聞けば、自然にはづる心も起り、実の道心も起るなり、故に知たる上にも聖教をばいくたびも見るべし、師の言ばも聞たる上にも、重て聞べし、いよいよふかき心有べきなり、
書き下し
この言ば一度聞たらば、重て聞べからずと思ふことなかれ、道心一度起したる人も、同じ事なれども、聞たびごとに心みがゝれて、いよいよ精進するなり、亦無道心の人も、一度二度こそつれなくとも、度々聞ぬれば霧露の中を行くが如く、いつぬるゝとも覚えざれども、自然に衣のうるほふが如くに、良人の言ばをいくたびも聞けば、自然にはづる心も起り、実の道心も起るなり、故に知たる上にも聖教をばいくたびも見るべし、師の言ばも聞たる上にも、重て聞べし、いよいよふかき心有べきなり、
現代語訳
この言葉は一度聞いたなら、重ねて聞くべきではないと思ってはならない。道心を一度起こした人も、同じ事であっても、聞くたびごとに心が磨かれて、いよいよ精進するのである。また道心のない人も、一度二度こそ手応えがなくとも、たびたび聞くならば、霧や露の中を行くように、いつ濡れたとも覚えないけれども、自然に衣が潤うように、良い人の言葉を何度も聞けば、自然に恥じる心も起こり、実の道心も起こるのである。だから、知っている上にも聖教を何度も見るべきである。師の言葉も聞いた上にも、重ねて聞くべきである。いよいよ深い心があるはずである。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻五亦人の心決定して、他に物をとらせじと思へども、他人强て乞ひぬれば、にくしとおもひ、いやながらも与ふるなり、亦決定して与へんと思へども便宜なく、時すぎぬれば亦やむ事も有なり、然あれば学人たとひ道心なくとも、良人に近づき善縁にあふて、同じ事をいくたびも聞見るべきなり、
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