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正法眼蔵随聞記 / 巻二

法語等を書くにも、文章におほせて書んとし、韻聲差へば礙へられなんとするは知りたる咎なり、語言文章はいかにもあれ、思ふ儘の理を順々と書きたらんは、後來も文はわろしと思ふとも、理だにも聞わたらば、道のためには大切なり、餘の才學も斯くの如し、

新字:法語等を書くにも、文章におほせて書んとし、韻声差へば礙へられなんとするは知りたる咎なり、語言文章はいかにもあれ、思ふ儘の理を順々と書きたらんは、後来も文はわろしと思ふとも、理だにも聞わたらば、道のためには大切なり、余の才学も斯くの如し、

書き下し

法語等を書くにも、文章におほせて書んとし、韻声差へば礙へられなんとするは知りたる咎なり、語言文章はいかにもあれ、思ふ儘の理を順々と書きたらんは、後来も文はわろしと思ふとも、理だにも聞わたらば、道のためには大切なり、余の才学も斯くの如し、

現代語訳

法語などを書くにも、文章に重きを置いて書こうとし、韻の響きが違えば妨げになると思うのは、知っていることの咎である。言葉や文章はどうであれ、思うままの理を次々と書いたなら、後から来る者も、文は下手だと思うとしても、理さえ伝わるなら、道のためには大切である。他の才学もこのようである。

解説

前条で述べた癖が、書く側に回ったときにどう現れるかを示す。整えようとする力が、書くべきことを妨げる。これを知っていることの咎と呼ぶのが鋭く、学識が短所として働く場面を名指ししている。文が下手でも理が伝われば足りるという基準は、この書物そのものの成り立ちにも通じている。

この章句が説くこと

文章法語才学表現

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