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正法眼蔵随聞記 / 巻一

夜話に云く、祖席に禪話をこゝろいる故實は、我が本より知り思ふ心、次第次第に知識の詞に隨ひて改めもて行くなり、假合佛と云は我れが本より知たりつるやうは、相好光明具足し、說法利生の德ありし釋迦彌陀等を佛と知たりとも、知識若し佛と云は蝦蟆蚯蚓ぞと云はヾ、蝦蟆蚯蚓を是れぞ佛と信じて日比の知解を捨つべきなり、此の蚯蚓の上に佛の相好光明、種々の佛の所具の德を求むるも、猶情見あらたまらざるあり、只當時の見ゆる處を佛と知なり、

新字:夜話に云く、祖席に禅話をこゝろいる故実は、我が本より知り思ふ心、次第次第に知識の詞に随ひて改めもて行くなり、仮合仏と云は我れが本より知たりつるやうは、相好光明具足し、説法利生の徳ありし釈迦弥陀等を仏と知たりとも、知識若し仏と云は蝦蟆蚯蚓ぞと云はヾ、蝦蟆蚯蚓を是れぞ仏と信じて日比の知解を捨つべきなり、此の蚯蚓の上に仏の相好光明、種々の仏の所具の徳を求むるも、猶情見あらたまらざるあり、只当時の見ゆる処を仏と知なり、

書き下し

夜話に云く、祖席に禅話をこゝろいる故実は、我が本より知り思ふ心、次第次第に知識の詞に随ひて改めもて行くなり、仮合仏と云は我れが本より知たりつるやうは、相好光明具足し、説法利生の徳ありし釈迦弥陀等を仏と知たりとも、知識若し仏と云は蝦蟆蚯蚓ぞと云はヾ、蝦蟆蚯蚓を是れぞ仏と信じて日比の知解を捨つべきなり、此の蚯蚓の上に仏の相好光明、種々の仏の所具の徳を求むるも、猶情見あらたまらざるあり、只当時の見ゆる処を仏と知なり、

現代語訳

夜話に言われた。祖師の席で禅の話を心に入れる作法は、自分がもとから知り思っている心を、次第次第に善知識の言葉に随って改めていくということである。たとえば仏というのは、自分がもとから知っていたところでは、すぐれた相好と光明を具え、法を説いて衆生を利する徳のあった釈迦や弥陀などを仏と知っていたとしても、善知識がもし、仏とは蝦蟇や蚯蚓であると言うならば、蝦蟇や蚯蚓をこれこそ仏であると信じて、日ごろの知解を捨てるべきである。この蚯蚓の上に仏の相好や光明、種々の仏の具える徳を求めるのも、なお思い込みが改まっていないのである。ただ今そこに見えているものを仏と知るのである。

解説

学ぶとは知識を足すことではなく、もとから持っている像を崩されていくことだと説く。蝦蟇や蚯蚓という極端な例を出したうえで、さらにその上に仏らしさを探すことまで退ける。探した時点で、自分の像に合わせて相手を測っているからである。まさに今見えているものをそのまま仏と知る、というのが到達点として置かれている。

この章句が説くこと

知解情見善知識思い込み

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