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正法眼蔵随聞記 / 巻三

貧ふして道を思ふは先賢古聖の仰ぐ所、諸佛諸祖の喜ぶ所ろなり、近來佛法の衰微しゆくこと眼前にあり、余始て建仁寺に入りし時見しと、後七八年過て見しと、次第にかはりゆくことは、寺の寮寮に塗籠をおき、各各器物を持し、美服を好み、財物を貯へ、放逸の言語を好み、問訊禮拜等の衰微することを以て思ふに、餘所も推察せらるゝなり、佛法者は衣盂の外に財寶等を一切持べからず、なにを置んが爲に塗籠をしつらふべきぞ、

新字:貧ふして道を思ふは先賢古聖の仰ぐ所、諸仏諸祖の喜ぶ所ろなり、近来仏法の衰微しゆくこと眼前にあり、余始て建仁寺に入りし時見しと、後七八年過て見しと、次第にかはりゆくことは、寺の寮寮に塗籠をおき、各各器物を持し、美服を好み、財物を貯へ、放逸の言語を好み、問訊礼拝等の衰微することを以て思ふに、余所も推察せらるゝなり、仏法者は衣盂の外に財宝等を一切持べからず、なにを置んが為に塗籠をしつらふべきぞ、

書き下し

貧ふして道を思ふは先賢古聖の仰ぐ所、諸仏諸祖の喜ぶ所ろなり、近来仏法の衰微しゆくこと眼前にあり、余始て建仁寺に入りし時見しと、後七八年過て見しと、次第にかはりゆくことは、寺の寮寮に塗籠をおき、各各器物を持し、美服を好み、財物を貯へ、放逸の言語を好み、問訊礼拝等の衰微することを以て思ふに、余所も推察せらるゝなり、仏法者は衣盂の外に財宝等を一切持べからず、なにを置んが為に塗籠をしつらふべきぞ、

現代語訳

貧しくて道を思うのは、先の賢者や古の聖人の仰ぐところ、諸仏諸祖の喜ぶところである。近ごろ仏法が衰えていくことは目の前にある。わたしが初めて建仁寺に入った時に見たのと、後に七、八年過ぎて見たのとで、次第に変わっていくことは、寺の寮ごとに塗籠を置き、それぞれが器物を持ち、美しい衣服を好み、財物を貯え、放逸な言葉を好み、問訊や礼拝などが衰えていくことである。これをもって思うに、他所も推し量られるのである。仏法者は衣と鉢のほかに財宝などを一切持ってはならない。何を置くために塗籠をしつらえるのか。

解説

衰えを、七、八年という短い期間の変化として具体的に描く。塗籠すなわち物入れが各寮に置かれたという、目に見える一つの変化から始まり、器物、衣服、財、言葉、礼拝の順に列挙される。最後の、何を置くために塗籠を作るのかという問いが、設備が先に欲を呼ぶという指摘になっている。

この章句が説くこと

衰微財物建仁寺塗籠礼拝

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