正法眼蔵随聞記 / 巻一
一日示して云く、續高僧傳の中に、或禪師の會下に一僧あり、金像の佛と亦佛舍利とをあがめ用ゐて、衆寮等にありても常に燒香禮拜し、恭敬供養しき、有時禪師の云く、汝ぢが崇る處の佛像舎利は、後には汝がために不是あらんという某の僧うけがはず、師云く、是れ天魔波旬の作す處なり、早く是を棄つ其の價慣然として出ぬれば、師すなはち僧の後へに云ひ懸て云く、汝箱を開て是を見べしと、其の僧いかりながら、是を開てみれば、毒蛇わだかせりと
新字:一日示して云く、続高僧伝の中に、或禅師の会下に一僧あり、金像の仏と亦仏舎利とをあがめ用ゐて、衆寮等にありても常に焼香礼拝し、恭敬供養しき、有時禅師の云く、汝ぢが崇る処の仏像舎利は、後には汝がために不是あらんという某の僧うけがはず、師云く、是れ天魔波旬の作す処なり、早く是を棄つ其の価慣然として出ぬれば、師すなはち僧の後へに云ひ懸て云く、汝箱を開て是を見べしと、其の僧いかりながら、是を開てみれば、毒蛇わだかせりと
書き下し
一日示して云く、続高僧伝の中に、或禅師の会下に一僧あり、金像の仏と亦仏舎利とをあがめ用ゐて、衆寮等にありても常に焼香礼拝し、恭敬供養しき、有時禅師の云く、汝ぢが崇る処の仏像舎利は、後には汝がために不是あらんという某の僧うけがはず、師云く、是れ天魔波旬の作す処なり、早く是を棄つ其の価慣然として出ぬれば、師すなはち僧の後へに云ひ懸て云く、汝箱を開て是を見べしと、其の僧いかりながら、是を開てみれば、毒蛇わだかせりと
現代語訳
ある日、道元が示して言われた。『続高僧伝』の中に、ある禅師の門下に一人の僧がいた。金の仏像と仏舎利とをあがめ用いて、僧堂にいるときも常に香を焚き礼拝し、うやうやしく供養していた。あるとき禅師が言った。おまえが崇めているその仏像と舎利は、のちにはおまえのために害となるだろう、と。その僧は承知しなかった。師は言った。これは天魔波旬の仕業である、早くこれを捨てよ、と。その僧が憤然として出ていこうとすると、師はすぐさま僧の背に呼びかけて言った。おまえ、箱を開けてこれを見よ、と。その僧が怒りながら箱を開けて見ると、中には毒蛇がとぐろを巻いていた。
解説
この章句が説くこと
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