正法眼蔵随聞記 / 巻四
示して云く、楊岐山の會禪師はじめ住持の時、寺院舊損して、僧のわづらひありし時、知事申して云く、修理あるべしと、會の云く、堂閣破れたりとも、露地樹下にはまさるべし、一方破れてもらば一方のもらぬ處に居して坐禪すべし、堂宇造作によりて僧衆悟りを得べくんば、金玉を以てもつくるべし、悟は居所の善惡にはよらず、只坐禪の功の多少にあるべしと、翌日の上堂に云く、楊岐乍住ノ屋壁疎ヲ、滿床盡布ッ雪ノ眞珠、縮ニ卻シ項ヲ暗ニ嗟呼ス、良久ノ云、翻テ憶フ古人樹下ノ居と、たゞ佛道のみにあらず、政道も亦かくの如し、唐の太宗はいやをつくらず、
新字:示して云く、楊岐山の会禅師はじめ住持の時、寺院旧損して、僧のわづらひありし時、知事申して云く、修理あるべしと、会の云く、堂閣破れたりとも、露地樹下にはまさるべし、一方破れてもらば一方のもらぬ処に居して坐禅すべし、堂宇造作によりて僧衆悟りを得べくんば、金玉を以てもつくるべし、悟は居所の善悪にはよらず、只坐禅の功の多少にあるべしと、翌日の上堂に云く、楊岐乍住ノ屋壁疎ヲ、満床尽布ッ雪ノ真珠、縮ニ却シ項ヲ暗ニ嗟呼ス、良久ノ云、翻テ憶フ古人樹下ノ居と、たゞ仏道のみにあらず、政道も亦かくの如し、唐の太宗はいやをつくらず、
書き下し
示して云く、楊岐山の会禅師はじめ住持の時、寺院旧損して、僧のわづらひありし時、知事申して云く、修理あるべしと、会の云く、堂閣破れたりとも、露地樹下にはまさるべし、一方破れてもらば一方のもらぬ処に居して坐禅すべし、堂宇造作によりて僧衆悟りを得べくんば、金玉を以てもつくるべし、悟は居所の善悪にはよらず、只坐禅の功の多少にあるべしと、翌日の上堂に云く、楊岐乍住ノ屋壁疎ヲ、満床尽布ッ雪ノ真珠、縮ニ却シ項ヲ暗ニ嗟呼ス、良久ノ云、翻テ憶フ古人樹下ノ居と、たゞ仏道のみにあらず、政道も亦かくの如し、唐の太宗はいやをつくらず、
現代語訳
示して言われた。楊岐山の会禅師が初めて住持であった時、寺院が古びて傷み、僧たちの煩いがあった時、知事が申して言った。修理があるべきです、と。会が言った。堂や閣が破れていても、露地や樹の下にはまさるであろう。一方が破れて漏るならば、一方の漏らない処に居て坐禅すべきである。堂宇を造り営むことによって僧たちが悟りを得られるのであれば、金や玉をもってでも作るべきである。悟りは居所の善悪にはよらない。ただ坐禅の功の多少にあるはずである、と。翌日の上堂に言った。楊岐は住み始めたばかりで屋も壁も粗く、床いっぱいに雪の真珠を敷きつめている。首をすくめて密かに嗟嘆し、しばらくあって言う、かえって思う、古人の樹下の居を、と。ただ仏道だけではない。政道もまたこのようである。唐の太宗は御殿を作らなかった。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻二亦云く、当世の人多く造像起塔等の事を仏法興隆と思へり、是れ亦非なり、直饒ひ高堂大観、玉をみがき金をのべたりとも、是れに依て得道の者あるべからず、只在家人の財宝を仏界に入れて、善事をなす福分なり、亦小因大果を感ずることあれども、僧徒の此の事をいとなむは仏法興隆にはあらざるなり、たとひ草菴樹下にてもあれ、法門の一句をも思量し、一と時の坐禅をも行せんこそ、誠の仏法興隆にてあらめ、
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『正法眼蔵随聞記』巻三僧の云く、唐土の寺院には定まりて僧祇物あり、常住物等ありて、置れたれは、僧の為に行道の資縁となりて、其の煩ひなし、此の国は其の義なければ、一向捨棄せられては、中中行道の違乱とやならん、かくの如くの衣食資縁を思ひあてゝあらばよしと覚ゆ、いかん、示して云く、然あらば、中中唐土よりは、此の国の人は、無理に僧を供養し、非分に人に物を与ふることあるなり、先つ人は知らず、我れは此の事を行じて道理を得たるなり、一切一物も持たす、思ひあてがふことも無ふして十余年過き了りぬ、一分も財を貯へんと思ふこそ大事なれ、僅の命をいくるほどのことは、いかにと思ひ貯へざれども、天然としてあるなり、人皆な生分あり天地是れを授く、我れ走り求めざれども必ず有なり、況や仏子は如来遺囑の福分あり、不求自得なり、只一向にすてゝ道を行せば、天然にこれあるべし、是れ現證なり、
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『正法眼蔵随聞記』巻三有る夜示して云く、唐の太宗即位の後、故殿に栖み給へり、破損せる故に、湿気あがり、風霧冷かにして、玉体おかされつべし、臣下等造作すへき由を奏しければ、帝の言く、時き農節なり、民定めて愁ひあるべし、秋を待て造るべし、湿気に侵さるは地にうけられず、風雨に侵さるは天に合はざるなり、天地に背かば身あるべからず、民を煩はさずんば自ら天地に合ふべし、天地に合はゝ身を侵すべからず、と云ふて終に新宮を作らず、故殿に栖み給へり、
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『正法眼蔵随聞記』巻四一日示して云く、俗人の云く、何人か好衣を望まざらん、誰人か重味を貪らざらん、然あれども道を存せんと思ふ人は、山に入り、雲に眠り、寒むきをも忍ひ、飢ねをも忍ふ、先人苦みなきに非す、是れを忍ひて道を守ればなり、後人是れを聴て道を慕ひ、徳を仰くなり、俗すら賢なるは猶がくの如し、仏道豈に然らさらんや、古人もみな金骨にはあらず、在世もことごとく上器にはあらず、大小の律蔵によりて諸の比丘をかんがふるに、不可思議の不当の心を起すもありき、然あれども後には皆得道し、羅漢となれりと見えたり、しかあれば我れらも賤く拙なしと云ふとも、発心修行せば、決定得道すへしと知て、即ち発心するなり、古へも皆苦を忍ひ、寒にたへて、愁ひなから修行せしなり、今の学者苦しく愁るとも、