正法眼蔵随聞記 / 巻五
法に輕重なし、人に淺深あり、當世金玉を人に與ふれば重しとして取らず、亦木石などをば輕として是を受て愛す、金玉本とより土の中より得たり、木石も大地より生ぜり、何ぞ一つをば重しとて取らず、一つをば輕しとて愛せん、此の心を案ずるに、重きを得ては執する心あらんか、輕きを得ても愛する心あらば、咎は等しかるべし、是れ學人の用心すべき事なり、
新字:法に軽重なし、人に浅深あり、当世金玉を人に与ふれば重しとして取らず、亦木石などをば軽として是を受て愛す、金玉本とより土の中より得たり、木石も大地より生ぜり、何ぞ一つをば重しとて取らず、一つをば軽しとて愛せん、此の心を案ずるに、重きを得ては執する心あらんか、軽きを得ても愛する心あらば、咎は等しかるべし、是れ学人の用心すべき事なり、
書き下し
法に軽重なし、人に浅深あり、当世金玉を人に与ふれば重しとして取らず、亦木石などをば軽として是を受て愛す、金玉本とより土の中より得たり、木石も大地より生ぜり、何ぞ一つをば重しとて取らず、一つをば軽しとて愛せん、此の心を案ずるに、重きを得ては執する心あらんか、軽きを得ても愛する心あらば、咎は等しかるべし、是れ学人の用心すべき事なり、
現代語訳
法に軽重はない。人に浅い深いがある。当世、金や玉を人に与えれば、重いものだとして取らない。また木や石などは軽いものとしてこれを受けて愛する。金玉はもともと土の中から得たものである。木石も大地から生じたものである。どうして一つは重いといって取らず、一つは軽いといって愛するのか。この心を考えるに、重いものを得ては執着する心があるのだろうか。軽いものを得ても愛する心があるならば、咎は等しいはずである。これが学人の用心すべき事である。
解説
高価な物を辞退し、粗末な物を喜んで受けるという態度を、同じ執着として並べる。金玉も木石も出どころは同じ土だという一句が効いていて、価値の差が人の側にあることを示す。辞退することが清廉に見えて、実は重いと認めているという指摘で、前段の疑いがここで一般化される。
この章句が説くこと
軽重執着金玉木石平等受け取り
関連する章句
-
『正法眼蔵随聞記』巻五亦人の心決定して、他に物をとらせじと思へども、他人强て乞ひぬれば、にくしとおもひ、いやながらも与ふるなり、亦決定して与へんと思へども便宜なく、時すぎぬれば亦やむ事も有なり、然あれば学人たとひ道心なくとも、良人に近づき善縁にあふて、同じ事をいくたびも聞見るべきなり、
-
『正法眼蔵随聞記』巻四亦示して云く、学人の第一の用心は、先つ我見を離るべし、我見を離るゝと云ふは、此の身を執すべからず、設ひ古人の語話を究め、常坐鉄石の如くなりとも、此の身に著して離れずんば、万劫千生にも仏祖の道を得べからす、いかに況や権実の教法、顕密の正教を悟り得たりと云とも、身を執する心を離れずんば、徒らに他の宝を数て自ら半銭の分なし、
-
『正法眼蔵随聞記』巻五一日示して云く、世間の人多く云ふ、某し師の言ばを聞けども我が心に叶はずと、此の言は非なり、知らず其のこゝろいかん、若しは聖教等の道理の、我が心に違背して非なりと思ふか、これは一向の凡愚なり、亦は師の云へる言が我が心に契はざるか、若し然あらばなんぞはじめより師に問ふや、亦日来の情見を以て云か、もししかあらば是れは無始よりこのかたの妄念なり、学道の用心と云ふは、我が心にたがへども、師の言は聖教の言理ならば、全く其に随て本の我見をすてゝあらためゆくべし、此の心が学道第一の故実なり、
-
『正法眼蔵随聞記』巻五泉大道の云く、風に向て坐し、日に向て眠る、時の人の錦を被たるに勝りたり云云、是の言は、古人の語なりといへども少し疑ひあり、時の人と云は、世間貪利の人を云か、若し然らは敵対最も下れり、何ぞ云ふに足らん、若しは学道の人を云か、然らば何ぞ錦を被たるに勝れりと云ふや、此の心を察するに、猶を錦を重もんずる心有るかと聞えたり、聖人は然あらず、金玉と瓦礫と斉く執することなし、故に釈迦如来牧牛女が乳粥を得て食し、馬麦を得て食す、いづれも等くす、
-
『正法眼蔵随聞記』巻四古人云く、奢て上賢にひとしからんと思ふことなかれ、賤ふして下賤にひとしからんと思ふことなかれと、云こゝろは、共に慢心なり、高ふしても下らんことを忘るゝことなかれ、安ふしても危からんことを忘るゝことなかれ、今日存するとも明日もと思ふことなかれ、死の至てちかくあやふきこと脚下にあり、
-
『正法眼蔵随聞記』巻一亦現の僻事なれども、我を大事にも思ふ人にて、此の人の云んことは善悪たがへじと思ふほどの知音ありて、檀那の処へひがごとを以て不得心の所望をなさば、其れを只今その人より所望のことを一往聞くとも、彼の状には去り難く、申せば申すばかりなり、道理に任せて沙汰あるべしと書くべきなり、一切に是なれば彼れも是れも遺恨あるべからざるなり、此の如くのこと、人に対面をもし、出来ることにつきて、能々思量すべきなり、所詮は事に触て、名聞我執を拾つべきなり、