正法眼蔵随聞記 / 巻五
亦人の心決定して、他に物をとらせじと思へども、他人强て乞ひぬれば、にくしとおもひ、いやながらも與ふるなり、亦決定して與へんと思へども便宜なく、時すぎぬれば亦やむ事も有なり、然あれば學人たとひ道心なくとも、良人に近づき善緣にあふて、同じ事をいくたびも聞見るべきなり、
新字:亦人の心決定して、他に物をとらせじと思へども、他人強て乞ひぬれば、にくしとおもひ、いやながらも与ふるなり、亦決定して与へんと思へども便宜なく、時すぎぬれば亦やむ事も有なり、然あれば学人たとひ道心なくとも、良人に近づき善縁にあふて、同じ事をいくたびも聞見るべきなり、
書き下し
亦人の心決定して、他に物をとらせじと思へども、他人强て乞ひぬれば、にくしとおもひ、いやながらも与ふるなり、亦決定して与へんと思へども便宜なく、時すぎぬれば亦やむ事も有なり、然あれば学人たとひ道心なくとも、良人に近づき善縁にあふて、同じ事をいくたびも聞見るべきなり、
現代語訳
また人の心は決まって、他人に物を取らせまいと思っても、他人が強いて乞うならば、憎いと思い、いやいやながらも与えるのである。また決まって与えようと思っても、都合がつかず時が過ぎてしまえば、また止めることもあるのである。であるから学人は、たとえ道心がなくとも、良い人に近づき、善い縁に逢って、同じ事を何度も聞き、見るべきである。
解説
与える気がないのに与え、与える気があったのに止める。どちらも本人の決意ではなく状況が決めている例である。心が当てにならないという観察から、道心の有無を待たずに環境を整えよという実際的な結論が導かれる。同じことを何度も、という反復の勧めが次の段で展開される。決意を数えるより、場を整えるほうが確かだということである。
この章句が説くこと
縁反復善友道心環境心
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孟子・滕文公章句下孟子、戴不勝に謂いて曰く、「子は子の王の善ならんことを欲するか。我明らかに子に告げん。此に楚の大夫有らんに、其の子の齊語せんことを欲すれば、則ち齊人をして諸に傅たらしめんか。楚人をして諸に傅たらしめんか。」曰く、「齊人をして之に傅たらしめん。」曰く、「一齊人之に傅たるも、衆楚人之を咻せば、雖日に撻(むちうつ)ちて其の齊たらんことを求むと雖も、得可からず。引いて之を莊嶽の間に置くこと數年ならば、日に撻ちて其の楚たらんことを求むと雖も、亦た得可からず。子、薛居州を善士と謂い、之をして王の所に居らしむ。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州ならば、王は誰と與にか不善を為さん。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州に非ざれば、王は誰と與にか善を為さん。一薛居州、獨り宋王を如何せん。」 <語釈> ○「咻」、音はキュウ、義はかまびすしくすること。○「莊嶽」、顧炎武云う、莊は是れ街の名、嶽は是れ里の名。
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史記 三王世家会々昭帝崩じ、宣帝初めて立つ、恩に縁りて義を行ひ、本始元年中を以て、漢の地を裂き、尽く以て広陵王胥の四子を封ず。一子は朝陽侯と為り、一子は平曲侯と為り、一子は南利侯と為り、最も愛する少子弘は、立てて以て高密王と為す。其の後胥果たして威福を作し、楚王の使者に通ず。楚王宣言して曰く、「我が先の元王は、高帝の少弟なり、三十二城を封ぜらる。今地邑益々少なし、我広陵王と共に兵を発せんと欲すと云ふ。広陵王を立てて上と為し、我復た楚の三十二城に王たること、元王の時の如くせん」と。事発覚し、公卿有司罰誅を行はんことを請ふ。天子骨肉の故を以て、法を胥に致すに忍びず、詔書を下して広陵王を治むる無からしめ、独り首悪の楚王を誅す。伝に曰く「蓬麻中に生ずれば、扶けずして自ら直し。白沙泥中に在れば、之と皆黒し」とは、土地の教化之をして然らしむるなり。其の後胥復た祝詛して謀反し、自殺し、国除かる。燕の土は墝埆にして、北は匈奴に迫り、其の人民勇にして慮少なし、故に之を誡めて曰く「葷粥氏は孝行有る無くして禽獣の心あり、以て窃盗して辺民を侵犯す。朕将軍に詔して往きて其の罪を征せしむ、万夫の長、千夫の長、三十有二君皆来たり、旗を降し師に奔る。葷粥域を徙して遠く処り、北州以て安し」と。「若の心を悉くし、怨みを作す無かれ」とは、俗に従ひて以て怨望せしむる勿かれとなり。「徳を俷る無かれ」とは、王をして徳に背かしむる勿かれとなり。「備へを廃する無かれ」とは、武備を乏しくする無く、常に匈奴に備へよとなり。「教へられし士に非ざれば徴に従ふを得ず」とは、言ふこころは礼義に習ふに非ざれば側に在るを得ずとなり。会々武帝年老い長じ、而して太子不幸にして薨じ、未だ立つる所有らず、而して旦使をして来たりて上書せしめ、身入りて長安に宿衛せんことを請ふ。孝武其の書を見、地を撃ち、怒りて曰く、「子を生まば当に之を斉魯礼義の郷に置くべし、乃ち之を燕趙に置く、果たして争ふ心有り、譲らざるの端見はる」と。

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