正法眼蔵随聞記 / 巻三
此の心を存ぜんと思はヾまづ無常を思ふべし、一期は夢の如し、光陰は早く移る、露の命は消ね易し、時は人を待ざるならひなれば、只しばらく存じたるほど聊かのことにつけても、人の爲によく佛意に順はんと思ふべきなり、
新字:此の心を存ぜんと思はヾまづ無常を思ふべし、一期は夢の如し、光陰は早く移る、露の命は消ね易し、時は人を待ざるならひなれば、只しばらく存じたるほど聊かのことにつけても、人の為によく仏意に順はんと思ふべきなり、
書き下し
此の心を存ぜんと思はヾまづ無常を思ふべし、一期は夢の如し、光陰は早く移る、露の命は消ね易し、時は人を待ざるならひなれば、只しばらく存じたるほど聊かのことにつけても、人の為によく仏意に順はんと思ふべきなり、
現代語訳
この心を持とうと思うならば、まず無常を思うべきである。一生は夢のようである。時は早く移る。露のような命は消えやすい。時は人を待たない習いであるから、ただしばらく生きている間、わずかな事につけても、人のためによく、仏の御意に順おうと思うべきである。
解説
無所得の利他という高い要求が、無常を思うことによって支えられると説く。時が短いと知れば、見返りを待つ余裕がなくなるからである。一生は夢、光陰は早く移る、露の命は消えやすいと三つ重ねたうえで、わずかな事につけてもという控えめな着地に落とすところに、実行しやすさへの配慮がある。
この章句が説くこと
無常利他光陰露命今仏意
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『正法眼蔵随聞記』巻五示して云く、利他の行も自利の行も、たゞ劣なる方を捨てゝ勝なる方をとらば、大士の善行なるべし、老病を扶けんとて水菽の孝をいたすは、只今生暫時の妄愛、迷情の喜びばかりなり、迷情の有為に背きて無為の道を学せんは、設ひ遺恨は蒙ることありとも、出世の勝縁と成べし、是を思へ是を思へ、
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