正法眼蔵随聞記 / 巻二
亦云く、世俗の禮にも人の見ざる處、あるひは暗室の中なれども、衣服等をきかゆる時も、亦坐臥する時にも、放逸に隱處なんどをも藏くさす無禮なるをば、天に慚ぢず鬼に慚ぢずとてそしるなり、只た人の見る時と同じく、かくすべき處をもかくし、はづべきことをもはづるなり、佛法の中も亦戒律かくのごとし、然あれば道者は內外を論ぜす、明暗を擇はず、佛制を心に存して、人の見ず知らざればとて、惡事を行すべからざるなり、
新字:亦云く、世俗の礼にも人の見ざる処、あるひは暗室の中なれども、衣服等をきかゆる時も、亦坐臥する時にも、放逸に隠処なんどをも蔵くさす無礼なるをば、天に慚ぢず鬼に慚ぢずとてそしるなり、只た人の見る時と同じく、かくすべき処をもかくし、はづべきことをもはづるなり、仏法の中も亦戒律かくのごとし、然あれば道者は内外を論ぜす、明暗を択はず、仏制を心に存して、人の見ず知らざればとて、悪事を行すべからざるなり、
書き下し
亦云く、世俗の礼にも人の見ざる処、あるひは暗室の中なれども、衣服等をきかゆる時も、亦坐臥する時にも、放逸に隠処なんどをも蔵くさす無礼なるをば、天に慚ぢず鬼に慚ぢずとてそしるなり、只た人の見る時と同じく、かくすべき処をもかくし、はづべきことをもはづるなり、仏法の中も亦戒律かくのごとし、然あれば道者は内外を論ぜす、明暗を択はず、仏制を心に存して、人の見ず知らざればとて、悪事を行すべからざるなり、
現代語訳
また言われた。世俗の礼にも、人の見ないところ、あるいは暗い室の中であっても、衣服などを着替えるときも、また坐り臥すときにも、放逸に隠すべき所などを隠さず無礼であるのを、天に恥じず鬼に恥じないといってそしるのである。ただ人の見る時と同じように、隠すべき所も隠し、恥じるべきことも恥じるのである。仏法の中でもまた戒律はこのとおりである。であるから道者は内と外を論ぜず、明るいか暗いかを選ばず、仏の制を心に置いて、人が見ず知らないからといって悪事を行ってはならないのである。
解説
この章句が説くこと
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