正法眼蔵随聞記 / 巻二
是れ必らす法門をもよくこゝろえたるにてあるなり、吾か心にも亦本より習ひ來たる法門の思量をは棄てゝ、只今見る所の祖師の言語行履に次第に心を移しもてゆくなり、かくのことくすれは、智慧もすゝみ悟りも開くるなり、本より學せし處の教家文字の功もすつへき道理あらは棄てゝ、今の義につきて見るへきなり、法門を學する事は、本より出離得道のためなり、我が所學多年の功つめり、なんぞたやすく捨てんと、猶を心深く思ふ、卽ち此の心を生死繫縛の心と云ふなり、能々思量すべし、
新字:是れ必らす法門をもよくこゝろえたるにてあるなり、吾か心にも亦本より習ひ来たる法門の思量をは棄てゝ、只今見る所の祖師の言語行履に次第に心を移しもてゆくなり、かくのことくすれは、智慧もすゝみ悟りも開くるなり、本より学せし処の教家文字の功もすつへき道理あらは棄てゝ、今の義につきて見るへきなり、法門を学する事は、本より出離得道のためなり、我が所学多年の功つめり、なんぞたやすく捨てんと、猶を心深く思ふ、即ち此の心を生死繋縛の心と云ふなり、能々思量すべし、
書き下し
是れ必らす法門をもよくこゝろえたるにてあるなり、吾か心にも亦本より習ひ来たる法門の思量をは棄てゝ、只今見る所の祖師の言語行履に次第に心を移しもてゆくなり、かくのことくすれは、智慧もすゝみ悟りも開くるなり、本より学せし処の教家文字の功もすつへき道理あらは棄てゝ、今の義につきて見るへきなり、法門を学する事は、本より出離得道のためなり、我が所学多年の功つめり、なんぞたやすく捨てんと、猶を心深く思ふ、即ち此の心を生死繋縛の心と云ふなり、能々思量すべし、
現代語訳
これは必ず、法門をもよく心得ているということである。自分の心にも、また本来から習ってきた法門についての思量を捨てて、ただ今見るところの祖師の言葉とふるまいに、次第に心を移していくのである。このようにすれば、智慧も進み悟りも開けるのである。もとより学んできた教家の文字の功も、捨てるべき道理があるならば捨てて、今の義に就いて見るべきである。法門を学ぶことは、もとより出離得道のためである。自分の学んできた多年の功が積もっている、どうしてたやすく捨てられようかと、なお心深く思う。すなわちこの心を、生死に繋縛される心と言うのである。
解説
この章句が説くこと
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