正法眼蔵随聞記 / 巻三
俗すら猶かくの如く、民を思ふこと自身に超ねたり、況や佛子は如來の家風を受て、一切衆生を一子の如く憐むべし、我に屬する侍者所從なればとて、呵噴し煩はすべからず、いかに況や同學等侶耆年宿老等をは、恭敬すること如來の如くすべしと戒文分明なり、然あれば今の學人も、人には色にいでゝ知られずとも、心の內に上下親疎を分たず、人の爲によからんと思ふべきなり、大小の事につけ人を煩はしめ、人の心を破ること有るべからざるなり、
新字:俗すら猶かくの如く、民を思ふこと自身に超ねたり、況や仏子は如来の家風を受て、一切衆生を一子の如く憐むべし、我に属する侍者所従なればとて、呵噴し煩はすべからず、いかに況や同学等侶耆年宿老等をは、恭敬すること如来の如くすべしと戒文分明なり、然あれば今の学人も、人には色にいでゝ知られずとも、心の内に上下親疎を分たず、人の為によからんと思ふべきなり、大小の事につけ人を煩はしめ、人の心を破ること有るべからざるなり、
書き下し
俗すら猶かくの如く、民を思ふこと自身に超ねたり、況や仏子は如来の家風を受て、一切衆生を一子の如く憐むべし、我に属する侍者所従なればとて、呵噴し煩はすべからず、いかに況や同学等侶耆年宿老等をは、恭敬すること如来の如くすべしと戒文分明なり、然あれば今の学人も、人には色にいでゝ知られずとも、心の内に上下親疎を分たず、人の為によからんと思ふべきなり、大小の事につけ人を煩はしめ、人の心を破ること有るべからざるなり、
現代語訳
俗世でさえなおこのようで、民を思うことが自分の身を超えている。まして仏弟子は如来の家風を受けて、一切衆生を一人子のように憐れむべきである。自分に属する侍者や従者だからといって、叱りつけ煩わせてはならない。まして同学の仲間や、年を重ねた老僧たちは、うやまうこと如来のようにすべきであると、戒めの文に明らかである。であるから今の学人も、人には表に出して知られなくとも、心の内に上下や親疎を分けず、人のためによかれと思うべきである。大小の事につけ人を煩わせ、人の心を傷つけることがあってはならないのである。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻三如来在世に外道多く如来を謗り悪みき、仏弟子問て云く、如来はもとより柔和を本とし、慈悲を心とす、一切衆生ひとしく恭敬すへし、何か故にか此のごとく随はざる衆生あるや、仏の言く、吾れ昔し衆を領せし時、多く呵噴羯磨を以て弟子をいましめき、是れに依て今かくの如しと律の中に見えたり、然あれば即ち設ひ住持長老として衆を領したりとも、弟子の非をたゞしいさめん時、呵噴の詞を用ゐるべからす、たゞ柔和の詞を以て誠め勧むとも、随ふべくんば随ふべきなり、況や学人親族兄弟等の為に、あらき言を以て人を悪しく呵噴することは一向にやむべきなり、能々意を用うべし、
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『正法眼蔵随聞記』巻一此の如きの心を以てこそ、衆をも接し化をも宣ふべけれ、住持長老なればとて、乱に衆を領し、我が物に思ふて呵噴するは非なり、況や其人にあらずして、人の短処を云ひ他の非を謗るは非なり、能々用心すべきなり、他の非を見て悪しゝと思ふて、慈悲を以て化せんと思はゝ、腹立まじきやうに、方便して、傍ら事を云ふやうにて、こしらふべきなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻三況や納僧は是にこへたる心をもつべきなり、衆生を思ふ事親疎を分かたず、平等に済度の心を存し、世出世間の利益、すべて自利を思はず、人にも知られず、喜こびられずとも、只人の為によきことを心の中に作して、我れはかくの如くの心もちたると、人に知られざるなり、此の故実はまづ世を捨て身を捨つべきなり、我が身をだにも真実に捨てぬれば、人によく思はれんと謂ふ心は無きなり、然あればとて、亦人はなにとも思はば思へとて、悪しきことを行し、放逸ならんは、亦仏意に背くなり、只よき事を行し、人の為に善事をなして、代りを得んと思ひ、我が名を顕はさんと思はずして、真実無所得にして利生の事をなす、即ち吾我を離るゝ第一の用心なり、
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『正法眼蔵随聞記』巻一亦現の僻事なれども、我を大事にも思ふ人にて、此の人の云んことは善悪たがへじと思ふほどの知音ありて、檀那の処へひがごとを以て不得心の所望をなさば、其れを只今その人より所望のことを一往聞くとも、彼の状には去り難く、申せば申すばかりなり、道理に任せて沙汰あるべしと書くべきなり、一切に是なれば彼れも是れも遺恨あるべからざるなり、此の如くのこと、人に対面をもし、出来ることにつきて、能々思量すべきなり、所詮は事に触て、名聞我執を拾つべきなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻四いはんや出家人必ずしも此の心あるべし、出家人はもとより身に財宝なければ、智慧功徳を以てたからとす、他の無道心なる、ひがことなんどを直に面てにあらはして、非におとすべからず、方便を以て彼れのはらたつまじき様に云ふべきなり、暴悪なるは其の法久しからずと云ふ、設ひ法を以て呵噴するとも、あらき言葉なるは法も久しからざるなり、小人下器はいさゝかも人のあらき言ばに必ず即ちはらたち、恥辱を思ふなり、大人上器には似るべからず、大人はしかあらず設ひ打たるれども報を思はす、今我国には小人多し、つゝしまずんはあるべからざるなり、