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正法眼蔵随聞記 / 巻三

示して云く、學道の人身心を放下して、一向に佛法に入るべし、古人云く、百尺竿頭如何進歩と、然あれば百尺の竿頭にのぼりて、足をはなたば死ぬべしと思ふて、つよく取つく心のあるなり、其れを一歩を進めよと云ふは、よもあしからじと思ひ切て、身命を放下するやうに、度世の業よりはじめて、一身の活計に到るまで、思ひすつべきなり、其れを捨てさらんほどは、いかに頭燃を拂ふて學道するやうなりとも、道を得ることはかなふべからざるなり、たゝ思ひ切て身心ともに放下すべきなり、有る時、

新字:示して云く、学道の人身心を放下して、一向に仏法に入るべし、古人云く、百尺竿頭如何進歩と、然あれば百尺の竿頭にのぼりて、足をはなたば死ぬべしと思ふて、つよく取つく心のあるなり、其れを一歩を進めよと云ふは、よもあしからじと思ひ切て、身命を放下するやうに、度世の業よりはじめて、一身の活計に到るまで、思ひすつべきなり、其れを捨てさらんほどは、いかに頭燃を払ふて学道するやうなりとも、道を得ることはかなふべからざるなり、たゝ思ひ切て身心ともに放下すべきなり、有る時、

書き下し

示して云く、学道の人身心を放下して、一向に仏法に入るべし、古人云く、百尺竿頭如何進歩と、然あれば百尺の竿頭にのぼりて、足をはなたば死ぬべしと思ふて、つよく取つく心のあるなり、其れを一歩を進めよと云ふは、よもあしからじと思ひ切て、身命を放下するやうに、度世の業よりはじめて、一身の活計に到るまで、思ひすつべきなり、其れを捨てさらんほどは、いかに頭燃を払ふて学道するやうなりとも、道を得ることはかなふべからざるなり、たゝ思ひ切て身心ともに放下すべきなり、有る時、

現代語訳

示して言われた。学道の人は身心を放り捨てて、ひたすら仏法に入るべきである。古人は言った、百尺の竿の先で、どのように歩を進めるか、と。であるから、百尺の竿の先に上って、足を放したら死ぬだろうと思って、強く取りつく心があるのである。それを一歩を進めよというのは、まさか悪いことにはなるまいと思い切って、身命を放り捨てるように、世を渡る仕事から始めて、一身の暮らしの手立てに至るまで、思い捨てるべきである。それを捨てないうちは、いかに頭に火がついたのを払うように学道するとしても、道を得ることはかなわないのである。ただ思い切って身心ともに放り捨てるべきである。

解説

百尺竿頭進一歩の公案を、しがみつく心のたとえとして読む。竿の先まで上りきった者ほど、放せば死ぬと思って強く取りつく。放すとは具体的に、生業から日々の暮らしの算段までを思い捨てることだと言い換えられている。頭燃を払うほどの熱心さも、そこを捨てなければ届かないと断じられている。

この章句が説くこと

放下身心百尺竿頭執着活計覚悟

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