正法眼蔵随聞記 / 巻五
古人の云く、所有の庫司の財穀をば、因を知り果を知る事に分付して、司を分ち局を列ねて、是を司さどらしむと、いふこゝろは、主人は寺院の大小の事都て管せず、只管工夫打坐して大衆を勸むべきゆゑなり、亦云く、良田萬頃よりも薄藝身に隨んにはしかず、施恩は報をのぞまず、人に與へて悔る事なかれ、口を守ること鼻の如くすれば、萬禍も及ばずと云り、行高ければ、人自ら重んじ、才多ければ人自ら歸伏するなり、深く耕して淺くうゆる、猶は天災あり、己を利して人を損する、豈に果報なからんや、學道の人話頭を見る時、目を近づけ力を盡して、能々見るべし、示して云く、
新字:古人の云く、所有の庫司の財穀をば、因を知り果を知る事に分付して、司を分ち局を列ねて、是を司さどらしむと、いふこゝろは、主人は寺院の大小の事都て管せず、只管工夫打坐して大衆を勧むべきゆゑなり、亦云く、良田万頃よりも薄芸身に随んにはしかず、施恩は報をのぞまず、人に与へて悔る事なかれ、口を守ること鼻の如くすれば、万禍も及ばずと云り、行高ければ、人自ら重んじ、才多ければ人自ら帰伏するなり、深く耕して浅くうゆる、猶は天災あり、己を利して人を損する、豈に果報なからんや、学道の人話頭を見る時、目を近づけ力を尽して、能々見るべし、示して云く、
書き下し
古人の云く、所有の庫司の財穀をば、因を知り果を知る事に分付して、司を分ち局を列ねて、是を司さどらしむと、いふこゝろは、主人は寺院の大小の事都て管せず、只管工夫打坐して大衆を勧むべきゆゑなり、亦云く、良田万頃よりも薄芸身に随んにはしかず、施恩は報をのぞまず、人に与へて悔る事なかれ、口を守ること鼻の如くすれば、万禍も及ばずと云り、行高ければ、人自ら重んじ、才多ければ人自ら帰伏するなり、深く耕して浅くうゆる、猶は天災あり、己を利して人を損する、豈に果報なからんや、学道の人話頭を見る時、目を近づけ力を尽して、能々見るべし、示して云く、
現代語訳
示して言われた。古人は言った、庫司にあるすべての財や穀は、因を知り果を知る者に任せて、司を分け局を並べて、これを司らせよ、と。言う心は、主人は寺院の大小の事をすべて管さず、ただひたすら工夫し坐って大衆を励ますべきゆえである。また言われた。良田が万頃あるよりも、薄い技芸が身に随っているほうがまさる。恩を施しては報いを望まず、人に与えて悔いてはならない。口を守ること鼻のようにすれば、万の禍も及ばない、と言う。行いが高ければ人は自ずと重んじ、才が多ければ人は自ずと帰服するのである。深く耕して浅く植えるのは、なお天災がある。自分を利して人を損なうならば、どうして果報がないだろうか。学道の人は話頭を見る時、目を近づけ力を尽くして、よくよく見るべきである。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻一此の如きの心を以てこそ、衆をも接し化をも宣ふべけれ、住持長老なればとて、乱に衆を領し、我が物に思ふて呵噴するは非なり、況や其人にあらずして、人の短処を云ひ他の非を謗るは非なり、能々用心すべきなり、他の非を見て悪しゝと思ふて、慈悲を以て化せんと思はゝ、腹立まじきやうに、方便して、傍ら事を云ふやうにて、こしらふべきなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻五示して云く、俗の野諺に云く、啞せず聾せざれば家公とならずと、云こゝろは、人の毀謗をきかず、人の不可をいはざれば、よく我が事を成ずるなり、かくのごとくなる人を、家の大人とするなりと、是れ野諺なりといへども、是を取て納僧の行履に用ゆべし、他のそしりにとりあはず、他の恨みにとりあはず、他の是非をいはずして、如何んが道を行せん、徹骨徹髄の者は是を得べきなり、示して云く、
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『正法眼蔵随聞記』巻五世間の人も他にまじはらず、己れが家ばかりにて生長したる人は、心のまゝにふるまひ、己が心を先として、人目をしらす、人の心を兼ざる人は、必ずしもあしきなり、学道の用心も亦かくのことし、衆にまじはり師に順して、我見を立せす、心をあらためゆけば、たやすく道者となるなり、学道は先づすべからく貧を学すべし、名をすて利をすて、一切諂らふことなく、万事なげすつれば必ずよき道人となるなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻五示して云く、古へに謂ゆる君子の力は牛に勝れり、然あれども牛とあらそはすと、今の学人我が智慧才学人に勝れたりと存するとも、人と諍論を好むことなかれ、亦悪口を以て人を呵噴し、怒目を以て人を見ることなかれ、今時の人多く財をあたへ恩を施せども、瞋恚を現じ、悪口を以て謗言する故に、必ず逆心を起すなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻二今ま是を思ふに、人々皆生得の衣食あり、思念によりても出で来らず、求めざれば来らざるにもあらず、在家人すらなほ運に任かせて、忠を思ひ孝を学す、いかに況や出家人はすべて他事を管せんや、釈尊遺付の福分あり、諸天応供の衣食あり、亦天然生得の命分あり、求めず思はずとも、任運に命分あるべきなり、直饒ひ走り求めて、実をもちたりとも、無常忽ちに来らん時如何ん、故へに学人は只須からく余事を心ろにとゞめず、一向に学道すべきなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻四予昔年初て建仁寺に入りし時は、僧衆随分に三業を守て、仏道の為め、利他のために、悪きことをば云はじせじと、各各志させしなり、僧正の徳の余残ありしほどは、かくの如くなりき、今時は其の儀なし、今の学者しるべし、決定して、自他の為め仏道の為に詮あるべきことならば、身をわすれても言ひ、若くは行ひもすべきなり、其の詮なきことは言行すべからず、宿老耆年の言行する時は、末臘の人は言ばをまじふべからず、是れ仏制なり、能々是れを思ふべし、身をわすれて道を思ふことは、俗猶此の心あり、