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正法眼蔵随聞記 / 巻一

佛菩薩は人の來て請ふときは、身肉手足をも截れり、況や人來て一通の狀をこはんに、名聞計りを思ふて其の事を聞かぬは是れ我執深きなり、人々ひじりならず、非分の事を云ふ人かなと、所詮なく思ふとも、我は名聞をすてゝ一分の人の利益とならば、眞實の道に相應すべきなり、古人も其の義あるかと見ゆること多し、我も其の義を思ふて、少々檀那知音の思ひかけざる事を、人に申傳べて給はれと云事をば、文一通遣りて一分の利益を作すは易きことなり、

新字:仏菩薩は人の来て請ふときは、身肉手足をも截れり、況や人来て一通の状をこはんに、名聞計りを思ふて其の事を聞かぬは是れ我執深きなり、人々ひじりならず、非分の事を云ふ人かなと、所詮なく思ふとも、我は名聞をすてゝ一分の人の利益とならば、真実の道に相応すべきなり、古人も其の義あるかと見ゆること多し、我も其の義を思ふて、少々檀那知音の思ひかけざる事を、人に申伝べて給はれと云事をば、文一通遣りて一分の利益を作すは易きことなり、

書き下し

仏菩薩は人の来て請ふときは、身肉手足をも截れり、況や人来て一通の状をこはんに、名聞計りを思ふて其の事を聞かぬは是れ我執深きなり、人々ひじりならず、非分の事を云ふ人かなと、所詮なく思ふとも、我は名聞をすてゝ一分の人の利益とならば、真実の道に相応すべきなり、古人も其の義あるかと見ゆること多し、我も其の義を思ふて、少々檀那知音の思ひかけざる事を、人に申伝べて給はれと云事をば、文一通遣りて一分の利益を作すは易きことなり、

現代語訳

仏や菩薩は、人が来て請うときには、身の肉や手足をも切って与えられた。まして人が来て一通の手紙を乞うのに、名聞ばかりを思ってそのことを聞き入れないのは、これは我執が深いのである。人々が、聖人らしくもない、分に過ぎたことを言う人だと、つまらなく思ったとしても、自分は名聞を捨てて一分の人の利益となるならば、真実の道に相応するはずである。古人にもその趣きがあると見えることが多い。わたしもその趣きを思って、少々の檀那や知り合いの思いがけない事を、人に申し伝えてくださいと言うことについては、手紙を一通遣って一分の利益をなすのは、たやすいことである。

解説

捨身の故事を持ち出しておいて、要求されているのは手紙一通だと落とす。この落差が、断る理由の小ささを浮かび上がらせる。しかも道元自身が実際にそうしていると述べており、教えを自分の外に置いていない。一分の利益という控えめな言い方が繰り返され、大きな救済ではなく手の届く助けが主題であることが分かる。

この章句が説くこと

利他名聞我執捨身依頼菩薩

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