正法眼蔵随聞記 / 巻二
我れ本と幼少の時より好のみ學せしことなれば、今もやゝもすれば外典等の美言案ぜられ、文選等も見らるゝを詮なき事と存ずれば、一向にすつべき由を思ふなり
新字:我れ本と幼少の時より好のみ学せしことなれば、今もやゝもすれば外典等の美言案ぜられ、文選等も見らるゝを詮なき事と存ずれば、一向にすつべき由を思ふなり
書き下し
我れ本と幼少の時より好のみ学せしことなれば、今もやゝもすれば外典等の美言案ぜられ、文選等も見らるゝを詮なき事と存ずれば、一向にすつべき由を思ふなり
現代語訳
わたしはもともと幼少の時から好んで学んできたことであるから、今もややもすれば外典などの美しい言葉が思い浮かべられ、『文選』などもつい見てしまうのを、甲斐のないことだと思うので、ひたすらに捨てるべきだと思うのである。
解説
前条で外典を学ぶなと言った直後に、自分にその癖が残っていると明かす。捨てたと言わず、捨てるべきだと思うと言うところに正直さがある。教えを人に向けて語りながら、自分がその途上にいることを隠さない書き方で、随聞記が説教集ではなく聞き書きであることがよく現れている一節である。
この章句が説くこと
外典執着捨てる習慣文選正直
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『正法眼蔵随聞記』巻二我れ幼少の時外典等を好み学しき、夫れがのち入宋伝法するまでも、内外の書籍を開き、方語を通ずるまでも、大切の用事、亦世間のためにも尋常ならざる事なり、俗なんども尋常事に思ひたる、かたかたの用事にてありけれども、今ま熟ら思ふに、学道のさはりにてあるなり、只聖教を見るとも、文に見ゆる所の理を次第に心得てゆかば其の道理を得つべきなり、然るに先つ文章を見、対句韻声なんどを見て、よきぞあしきぞと心に思ふて、後に理をば心得るなり、然あれば、中々知らすして、初めより道理を心得て行かばよかるべきなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻二法語等を書くにも、文章におほせて書んとし、韻声差へば礙へられなんとするは知りたる咎なり、語言文章はいかにもあれ、思ふ儘の理を順々と書きたらんは、後来も文はわろしと思ふとも、理だにも聞わたらば、道のためには大切なり、余の才学も斯くの如し、
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『正法眼蔵随聞記』巻四一日参学の次てに示して云く、学道の人は自解を執することなかれ、設ひ会する所ろありとも、若し亦決定よからざる事もやあらん、亦是よりもよき義もやあらんと思ふて、広く知識をも訪ひ、先人の言をも尋ぬべきなり、亦先人の言なりともかたく執する事なかれ、若し是もあしくもやあるらん、信ずるにつけてもと思て、次第にすぐれたる事あらば、其れにつくべきなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻二是れ必らす法門をもよくこゝろえたるにてあるなり、吾か心にも亦本より習ひ来たる法門の思量をは棄てゝ、只今見る所の祖師の言語行履に次第に心を移しもてゆくなり、かくのことくすれは、智慧もすゝみ悟りも開くるなり、本より学せし処の教家文字の功もすつへき道理あらは棄てゝ、今の義につきて見るへきなり、法門を学する事は、本より出離得道のためなり、我が所学多年の功つめり、なんぞたやすく捨てんと、猶を心深く思ふ、即ち此の心を生死繋縛の心と云ふなり、能々思量すべし、
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『正法眼蔵随聞記』巻五われ昔日我が朋輩の中に我見を執して、知識をとふらひける者ありき、我が心に違するをば心得ずと云て、我見にあひかなふをば執して、一生空くすぎて、仏法を会せざりけり、我れそれを見て智発してしりぬ、学道は然あるべからずと、かく思ひて師の言ばに随て、全く道理を得て、其後看経の次でに、或る経に云く、仏法を学せんと思はゞ、三世の心を相続することなかれと、誠に知ぬさきの諸念旧見を記持せすして、次第にあらためゆくべきなりと云ことを、書に云く、忠言逆耳、いふこゝろは、我為に忠有べきことばは必す耳に違するなり、違するとも强ひて随ひ行せは、畢竟して益有べきなり、