正法眼蔵随聞記 / 巻六
身の病者なれば病ひを治して後より修行せんと思ふは、無道心のいたす處なり、四大和合の身は誰か病無からん、古人必ずしも金骨にあらず、只志だに至りぬれば、他事を忘れて行するなり、大事身の上に來れば、必ず小事を忘るゝ習ひなり、佛道は一大事なれば、一生に窮めんと思ひて、日々時々を空くすごさじと思ふべきなり、古人の云く、光陰虛く度ることなかれと云々、
新字:身の病者なれば病ひを治して後より修行せんと思ふは、無道心のいたす処なり、四大和合の身は誰か病無からん、古人必ずしも金骨にあらず、只志だに至りぬれば、他事を忘れて行するなり、大事身の上に来れば、必ず小事を忘るゝ習ひなり、仏道は一大事なれば、一生に窮めんと思ひて、日々時々を空くすごさじと思ふべきなり、古人の云く、光陰虚く度ることなかれと云々、
書き下し
身の病者なれば病ひを治して後より修行せんと思ふは、無道心のいたす処なり、四大和合の身は誰か病無からん、古人必ずしも金骨にあらず、只志だに至りぬれば、他事を忘れて行するなり、大事身の上に来れば、必ず小事を忘るゝ習ひなり、仏道は一大事なれば、一生に窮めんと思ひて、日々時々を空くすごさじと思ふべきなり、古人の云く、光陰虚く度ることなかれと云々、
現代語訳
自分は病人だから病を治してから後に修行しようと思うのは、道心のないところがさせることである。四大の和合した身で、誰が病がないだろうか。古人も必ずしも金の骨ではない。ただ志さえ至れば、他の事を忘れて行ずるのである。大事が身の上に来れば、必ず小事を忘れるのが習いである。仏道は一大事であるから、一生のうちに窮めようと思って、日々時々を空しく過ごすまいと思うべきである。古人は言った、光陰を虚しく過ごしてはならない、と。
解説
病を理由にすることを、体の問題ではなく志の問題として突き放す。大事が来れば小事は自然に忘れるという観察が鋭く、忘れられないのは、そちらを大事と思っていないからだと言っていることになる。誰の身も病を含むという前提が、逃げ道を塞いでいる。
この章句が説くこと
道心志病光陰一大事今
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