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正法眼蔵随聞記 / 巻四

有人の云く、供奉が常途に超えざる過、甚れの處にかある、童子も同く眞色を說く、是れこそ眞の知識たらめと云て、國師の義を用ひず、故に知ぬ必しも古人の言ばを用ひず、只寔との道理を存すべきなり、疑心はあしき事なれども、亦信すまじきことをかたく執して、尋ぬべき義をも問はざるはあしきなり、

新字:有人の云く、供奉が常途に超えざる過、甚れの処にかある、童子も同く真色を説く、是れこそ真の知識たらめと云て、国師の義を用ひず、故に知ぬ必しも古人の言ばを用ひず、只寔との道理を存すべきなり、疑心はあしき事なれども、亦信すまじきことをかたく執して、尋ぬべき義をも問はざるはあしきなり、

書き下し

有人の云く、供奉が常途に超えざる過、甚れの処にかある、童子も同く真色を説く、是れこそ真の知識たらめと云て、国師の義を用ひず、故に知ぬ必しも古人の言ばを用ひず、只寔との道理を存すべきなり、疑心はあしき事なれども、亦信すまじきことをかたく執して、尋ぬべき義をも問はざるはあしきなり、

現代語訳

ある人が言った。供奉が常のものを超えていない落ち度は、どこにあるのか。童子も同じく真色を説いている。これこそまことの善知識であろう、と言って、国師の義を用いなかった。だから知られる、必ずしも古人の言葉を用いるのではなく、ただまことの道理を持つべきである。疑う心は悪い事であるけれども、また信ずるべきでない事をかたく執着して、尋ねるべき義をも問わないのは悪いのである。

解説

慧忠の裁定に対して、後の人が異を唱えた例を挙げる。しかも道元はその異論を紹介したまま退けず、古人の言葉を必ず用いるのではないと結ぶ。最後に、疑心と盲信の両方を戒め、尋ねるべきことを問わない態度を悪いとする。前条の、執するなという教えが、疑うことの側からも押さえられている。

この章句が説くこと

自解執着問い古人

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