正法眼蔵随聞記 / 巻六
示して云く、傳へ聞く、昔日雪峰山の開山の時は、寺貧窮にして、或は絕烟し、或は綠豆飯をむして食して、日を送て學道せしかども、後には一千五百人の僧常に斷たざるなり、昔しの人はかくのごとし、今もまたかくのごとくなるべし、
新字:示して云く、伝へ聞く、昔日雪峰山の開山の時は、寺貧窮にして、或は絶烟し、或は緑豆飯をむして食して、日を送て学道せしかども、後には一千五百人の僧常に断たざるなり、昔しの人はかくのごとし、今もまたかくのごとくなるべし、
書き下し
示して云く、伝へ聞く、昔日雪峰山の開山の時は、寺貧窮にして、或は絶烟し、或は綠豆飯をむして食して、日を送て学道せしかども、後には一千五百人の僧常に断たざるなり、昔しの人はかくのごとし、今もまたかくのごとくなるべし、
現代語訳
示して言われた。伝え聞くところでは、昔、雪峰山を開いた時は、寺が貧しく、あるいは炊く煙が絶え、あるいは緑豆の飯を蒸して食べて日を送りながら学道したけれども、後には一千五百人の僧が常に絶えなかった。昔の人はこのようであった。今もまたこのようであるべきである。
解説
雪峰義存の開山の故事を、貧しさから始まって大衆が集まった例として引く。人が集まったのは豊かにしたからではなく、貧しいまま学道したからだという読み方で、前段までの主張を歴史で裏づけている。今もそうであるべきだ、と現在へ引き寄せて終わる。条件を整えてから人を待つ、という順序をここで否定している。整えるほど、集まる理由のほうが変わってしまうからである。
この章句が説くこと
貧開山雪峰忍学道衆
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