正法眼蔵随聞記 / 巻四
文に云く、ほめて白品の中にあるを善と云ふ、そしりて黑品の中におくを惡と云ふと、亦云く、苦を受くべきを惡と云ふ、樂をまねくべきを善と云ふと、かくの如く子細に分別して、眞實の善を見て行し、眞實の惡を見てすつべきなり、僧は清淨の中より來れるものなれば、人の欲を起すまじきものを以てよしとし、きよきとするなり、示して云く、
新字:文に云く、ほめて白品の中にあるを善と云ふ、そしりて黒品の中におくを悪と云ふと、亦云く、苦を受くべきを悪と云ふ、楽をまねくべきを善と云ふと、かくの如く子細に分別して、真実の善を見て行し、真実の悪を見てすつべきなり、僧は清浄の中より来れるものなれば、人の欲を起すまじきものを以てよしとし、きよきとするなり、示して云く、
書き下し
文に云く、ほめて白品の中にあるを善と云ふ、そしりて黒品の中におくを悪と云ふと、亦云く、苦を受くべきを悪と云ふ、楽をまねくべきを善と云ふと、かくの如く子細に分別して、真実の善を見て行し、真実の悪を見てすつべきなり、僧は清浄の中より来れるものなれば、人の欲を起すまじきものを以てよしとし、きよきとするなり、示して云く、
現代語訳
文に言う、ほめて白い品の中にあるのを善と言い、そしって黒い品の中に置くのを悪と言う、と。また言う、苦を受けるべきものを悪と言い、楽を招くべきものを善と言う、と。このように細かに分別して、真実の善を見て行い、真実の悪を見て捨てるべきである。僧は清浄の中から来た者であるから、人の欲を起こさせないものをよしとし、清いとするのである。
解説
定めがたいと言ったうえで、二つの物差しを示す。ほめられるか否かという世評の物差しと、苦を招くか楽を招くかという結果の物差しである。そのうえで僧に固有の基準として、人の欲を起こさせないかどうかが加えられる。立場によって基準が違うことを認めながら、判断を放棄していない。
この章句が説くこと
善悪基準清浄欲分別判断
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『正法眼蔵随聞記』巻四示して云く、善悪と云ふこと定め難し、世間の人は綾羅錦繡をきたるをよしと云ふ、麁布糞掃衣をわるしと云ふ、仏法には此れをよしとし、清しとし、金銀錦綾をわるしとし、けがれたりとす、かくの如く、一切のことにわたりて皆然り、予が如きも、聊か韻声をとゝのへ、文字をかきすぐるゝを、俗人等は尋常ならぬことに云もあり、亦有人は出家学道の身としてかくの如きのこと知れるとそしる人もあり、いづれをか定めて善として取り、悪としてすつへきぞ、
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『墨子』非儒下夫れ一に道術學業とは、仁義なり。昔、大にしては以て人を治め、小にしては以て官に任じ、逺くしては施し、用いては偏く、近くしては以て身を循む。不義には處らず、非理には行わず。務めて天下の利を興し、曲直周旋、利あれば則ち止まる。此れ君子の道なり。聞く所の孔丘の行いを以てすれば、則ち本より此と相い反謬するなり。
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