正法眼蔵随聞記 / 巻四
示して云はく、愚癡なる人は其の詮なきことを思ひ云ふなり、此につかはるゝ老尼公ありけるが、當時いやしげに在るをはづる顏にて、ともすれば人に向ては、昔しは上臘にてありしよしを語る、たとひ而今の人にさもありと思はれたりとも、なんの用とも覺えぬ、甚だ無用なりとおぼゆるなり、皆人の思はくは此の心あるかと覺ゆるなり、道心の無きほども知られたり、是れらの心を改めて、少し人には似るべきなり、亦有る入道の、極めて無道心なるあり、去り難き知音にてある故に、道心おこらんこと佛神に祈誓せよと云はんと思ふ、定て彼れ腹立して中をたがふことあらん、然あれども道心を發さヾらんには得意にてもたがひに詮なかるべし、
新字:示して云はく、愚癡なる人は其の詮なきことを思ひ云ふなり、此につかはるゝ老尼公ありけるが、当時いやしげに在るをはづる顏にて、ともすれば人に向ては、昔しは上臘にてありしよしを語る、たとひ而今の人にさもありと思はれたりとも、なんの用とも覚えぬ、甚だ無用なりとおぼゆるなり、皆人の思はくは此の心あるかと覚ゆるなり、道心の無きほども知られたり、是れらの心を改めて、少し人には似るべきなり、亦有る入道の、極めて無道心なるあり、去り難き知音にてある故に、道心おこらんこと仏神に祈誓せよと云はんと思ふ、定て彼れ腹立して中をたがふことあらん、然あれども道心を発さヾらんには得意にてもたがひに詮なかるべし、
書き下し
示して云はく、愚癡なる人は其の詮なきことを思ひ云ふなり、此につかはるゝ老尼公ありけるが、当時いやしげに在るをはづる顏にて、ともすれば人に向ては、昔しは上臘にてありしよしを語る、たとひ而今の人にさもありと思はれたりとも、なんの用とも覚えぬ、甚だ無用なりとおぼゆるなり、皆人の思はくは此の心あるかと覚ゆるなり、道心の無きほども知られたり、是れらの心を改めて、少し人には似るべきなり、亦有る入道の、極めて無道心なるあり、去り難き知音にてある故に、道心おこらんこと仏神に祈誓せよと云はんと思ふ、定て彼れ腹立して中をたがふことあらん、然あれども道心を発さヾらんには得意にてもたがひに詮なかるべし、
現代語訳
示して言われた。愚かな人は、その甲斐のないことを思い、言うのである。ここに使われている老いた尼公がいたが、今の身分が卑しげであるのを恥じる顔つきで、ともすれば人に向かっては、昔は上臈であったことを語る。たとえ今の人にそうであったのだと思われたとしても、何の役に立つとも思えない。はなはだ無用であると思われるのである。人はみな心の内にこの心があるかと思われるのである。道心のない程度も知られる。これらの心を改めて、少しは人らしくなるべきである。またある入道で、きわめて道心のない者がある。離れがたい知り合いであるので、道心が起こることを仏神に祈誓せよと言おうと思う。きっとあの人は腹を立てて、仲たがいすることもあろう。しかしながら、道心を起こさないのでは、親しくしていても互いに甲斐がないであろう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『正法眼蔵随聞記』巻四古人云く、奢て上賢にひとしからんと思ふことなかれ、賤ふして下賤にひとしからんと思ふことなかれと、云こゝろは、共に慢心なり、高ふしても下らんことを忘るゝことなかれ、安ふしても危からんことを忘るゝことなかれ、今日存するとも明日もと思ふことなかれ、死の至てちかくあやふきこと脚下にあり、
-
尚書・西伯戡黎我が生、命は天に在るに非ずや。
-
徒然草・第167段一道に携はる人、あらぬ道の席に臨みて、「あはれ我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを。」といひ、心にも思へる事、常のことなれど、世にわろく覚ゆるなり。知らぬ道の羨ましく覚えば、「あな羨まし、などか習はざりけむ。」と言ひてありなむ。我が智を取り出でて人に争ふは、角あるものの角をかたぶけ、牙あるものの牙を噛み出す類なり。人としては善にほこらず、物と争はざるを徳とす。他に勝る事のあるは大きなる失なり。品の高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖の誉にても、人にまされりと思へる人は、たとひ詞に出でてこそいはねども、内心に若干の科あり。謹みてこれを忘るべし。をこにも見え、人にもいひけたれ、禍ひをも招くは、たゞこの慢心なり。一道にもまことに長じぬる人は、みづから明らかにその非を知るゆゑに、志常に満たずして、つひに物に誇ることなし。
-
尚書・周官寵に居りて危うきを思い、畏れざる罔く、畏れざれば畏るるに入る。
-
葉隠・聞書第一順境には自慢と奢りがあぶなきなり。その時は、日頃の倍(ばい)慎まねば、追ひ付かざるなり。よき時進む者は、悪しき時草臥(くたび)るるものなり。
-
葉隠・聞書第二奉公の志の出来ぬも自慢故なり。我をよしと思い、贔屓(ひいき)の上から理を附けて、悪(わる)がたまりにかたまり、一世帯構えて済まして居る故なり。歎かしき事なり。富貴器量発明、何ぞ一つの取柄に自慢して、我とれにて済むと思うより、心闇(くら)く、人に向い尋ねもせず、一生をあらぬ事して果すなり。よくよく慢心はあるものなれ共、何某(なにがし)は御家中一番のたわけなるが、たわけに自慢して、『我はたわけたる故身上(しんしょう)悪しなし。』当介(とうかい)を思い、自慢を捨て、我が非を知り、何とすればよきものかと探促したるとなり。奉公の志と云うは別の事なし。一生成就せず探促仕(つかまつ)り死に極るなり。非を知って探促するが即ち道なり。