正法眼蔵随聞記 / 巻二
今ま僧堂を立んとて、勸進をもし隨分にいとなむ事は、必ずしも佛法興隆と思はず、只當時學道する人もなく、いたづらに日月を送るあひだ、只あらんよりはと思ふて、迷徒の結緣ともなれかし、亦當時學道の徒がらの坐禪の道塲のためなり、亦思ひ始めたる事のならぬとても恨みあるべからず、只柱ら一本なりとも立てゝ置たらば、後來もかく思ひくはだてたれども、成らざりけりと見んも、苦るしかるべからずと思ふなり、
新字:今ま僧堂を立んとて、勧進をもし随分にいとなむ事は、必ずしも仏法興隆と思はず、只当時学道する人もなく、いたづらに日月を送るあひだ、只あらんよりはと思ふて、迷徒の結縁ともなれかし、亦当時学道の徒がらの坐禅の道塲のためなり、亦思ひ始めたる事のならぬとても恨みあるべからず、只柱ら一本なりとも立てゝ置たらば、後来もかく思ひくはだてたれども、成らざりけりと見んも、苦るしかるべからずと思ふなり、
書き下し
今ま僧堂を立んとて、勧進をもし随分にいとなむ事は、必ずしも仏法興隆と思はず、只当時学道する人もなく、いたづらに日月を送るあひだ、只あらんよりはと思ふて、迷徒の結縁ともなれかし、亦当時学道の徒がらの坐禅の道塲のためなり、亦思ひ始めたる事のならぬとても恨みあるべからず、只柱ら一本なりとも立てゝ置たらば、後来もかく思ひくはだてたれども、成らざりけりと見んも、苦るしかるべからずと思ふなり、
現代語訳
今、僧堂を立てようとして勧進をもし、分に応じて営むことは、必ずしも仏法の興隆とは思わない。ただ、目下は道を学ぶ人もなく、いたずらに日月を送っている間、ただ何もしないよりはと思って、迷える者たちの結縁ともなればよい、また目下、道を学ぶ者たちの坐禅の道場のためである。また、思い始めたことが成らないとしても、恨みがあるはずはない。ただ柱を一本でも立てておいたなら、後から来る者も、こう思い企てたけれども成らなかったのだと見るであろうが、それも苦しくはあるまいと思うのである。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻二亦云く、当世の人多く造像起塔等の事を仏法興隆と思へり、是れ亦非なり、直饒ひ高堂大観、玉をみがき金をのべたりとも、是れに依て得道の者あるべからず、只在家人の財宝を仏界に入れて、善事をなす福分なり、亦小因大果を感ずることあれども、僧徒の此の事をいとなむは仏法興隆にはあらざるなり、たとひ草菴樹下にてもあれ、法門の一句をも思量し、一と時の坐禅をも行せんこそ、誠の仏法興隆にてあらめ、
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『正法眼蔵随聞記』巻二僧正の門弟等の僧の云く、今の建仁寺の寺屋敷川原に近し、後代に水難ありぬべしと、僧正の云く、我れ寺の後代の亡失是れを思ふべからず、西天の祇園精舎もいしずゑばかりとゞまれり、然あれども、寺院建立の功徳失すべからず、亦当時一年半年の行道、其の功徳莫大なるべしと、今ま是れを思ふに、寺院の建立寔に一期の大事なれば、未来際をも兼て難無きやうにこそ思ふべけれども、さる心中にも亦此の如きの道理存せられたる心のたけ、寔に是れを思ふべし、
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『正法眼蔵随聞記』巻二亦ある人勧めて云く、仏法興隆のために関東に下向すべしと、答て云く、然らず、若し仏法に志しあらば、山川江海を渡りても来て学すべし、志ざし無らん人に、往き向ふて勧むるとも、聞き入れんこと不定なり、只我資縁のために人を誰惑せんか、亦財宝を貪らんがためか、其れは身の苦しみなれば、行かでもありなんと覚ゆるなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻二亦ある人の云く、末世辺土の仏法興隆は、閑居静処をかまヘ、衣食等の外護にわづらひなく、衣食具足して仏法修行せば、利益も広かるべしと、今これを思ふに然らず、それに付ては有相著我の諸人あつまり学せんほどに、その中には一人も発心の人は出来るまじ、利養につき、財欲にふけりて、縦ひ千万人集りたらんも、一人無からんに猶おとるべし、悪道の業因のみ自ら積で、仏法の気分なきゆゑなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻二予後に此の理を案ずるに、語録公案等を見て古人の行履をも知り、あるひは迷者のために説き聴かしめん、皆な是れ自行化他のために畢竟じて無用なり、只管打坐して大事をあきらめなば、後には一字を知らずとも、他に開示せんに用ひつくすべからず、故に彼の僧畢竟してなにの用ぞとは云ひける、是れ真実の道理なりと思ひて、其の後語録等を見ることをやめて、一向に打坐して大事を明らめ得たり、
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『正法眼蔵随聞記』巻二かくの如くなる故に、仏法は衰へ行くなり、諸方仏法の盛んなりし時は、叢林皆坐禅を専らにせしなり、近代諸方坐禅を勧めざれは、仏法澆薄しゆくなりと、かくの如くの道理を以て、衆僧をすゝめて坐禅せしめられしこと、まのあたり是れを見しなり、今の学人も彼の風を思ふべし、