正法眼蔵随聞記 / 巻六
學道の人言ばを發せんとする時は、三度顧て自利利他の爲に、利あるべくんば是を云ふべし、利なからん言語は止まるべし、かくのごときの事も一度には得がたし、心にかけて漸々に習ふべきなり、
新字:学道の人言ばを発せんとする時は、三度顧て自利利他の為に、利あるべくんば是を云ふべし、利なからん言語は止まるべし、かくのごときの事も一度には得がたし、心にかけて漸々に習ふべきなり、
書き下し
学道の人言ばを発せんとする時は、三度顧て自利利他の為に、利あるべくんば是を云ふべし、利なからん言語は止まるべし、かくのごときの事も一度には得がたし、心にかけて漸々に習ふべきなり、
現代語訳
学道の人が言葉を発しようとする時は、三度顧みて、自分のためにも他人のためにも利があるならば、これを言うべきである。利のない言葉は止めるべきである。このような事も一度にはできがたい。心にかけて次第に習うべきである。
解説
自利利他という基準を、話す前の一拍に落とし込んでいる。言うか言わぬかを、正しいかどうかではなく、誰かの利になるかどうかで決めるのが要点。最後に、これは一度にはできないから習うのだと添えるところに、この語録の実際的な性格が出ている。一拍を置くこと自体が練習の要る技であり、初めからできるとは言っていない。
この章句が説くこと
言自利利他沈黙習慎利
関連する章句
-
『碧巌録』第十八則多少の人か道ふ、国師の言はざる処、便ち是れ塔様と。若し恁麼に会せば、達磨の一宗、地を掃うて尽きん。若し良久便ち是なりと謂はば、唖子も也た合に禅を会すべし。豈に見ずや、外道仏に問ふ、有言を問はず、無言を問はず。世尊良久す。外道礼拝し、讃嘆して曰く、世尊大慈大悲、我が迷雲を開き、我をして得入せしむと。外道去りて後に及んで、阿難仏に問ふ、外道何の所証有りてか得入すと言ふ。世尊云く、世の良馬の鞭影を見て行くが如し。人多く良久の処に向かつて会す、什麼の巴鼻か有らん。五祖先師拈じて云く、前面は是れ珍珠瑪瑙、後面は是れ瑪瑙珍珠。左辺は是れ観音勢至、右辺は是れ文殊普賢。中間に箇の旛子有りて、風に吹著せられて、胡盧胡盧と道ふ。国師云く、会すや。帝曰く、会せず。却つて些子に較れり。且く道へ、這箇の不会と、武帝の不識と、是れ同か是れ別か。然りと雖も、似たることは則ち似たるも、是なることは則ち未だ是ならず。
-
『講孟余話』盡心下 第三十一章「士未だ以て言ふべからずして言ふ、是れ言を以て之れを餂るなり。以て言ふべくして言はず、是れ言はざるを以て之れを餂るなり」。下章に所謂「言近くして指遠き者」とは、正に此の章の類是れなり。「人を害せんと欲するの心無き」は即ち惻隠の心なり。「穿窬の心無き」は即ち辞譲の心なり。「爾汝を受くるの実無き」は即ち羞悪の心なり。人々皆これあり、但だ拡充すると拡充せぬとの差別あるのみ。仁斎云く、「此れ当に前篇の四端の章と参看すべし」と。余謂ふに其の語意は更に親切なるを覚ゆ。言を以て之れを餂り、言はざるを以て之れを餂るは、是れ今人の通情、最も官途上の人に於て観るべし。言はざるを以て之れを餂る者は、隠黙して容れらるることを取る。此の種の人忽ち見れば重厚簡黙、器度あるに似たり、俗人最も是れを信重す。漢武の丞相石奮の如き、大害なきが如し。然れども其の甚しきに至りては、五代の馮道の如く五朝(唐・晋・遼・漢・周、八姓八主あり)に事へ皆相となるに至る、豈に憎まざるべけんや。
-
『酔古堂剣掃』集法・辯は訥に如かず辯は訥に如かず、語は默に如かず、動は靜に如かず、忙は閑に如かず。
-
『墨子』尚同下何を以て其の然るを知るや。先王の書に於けるや、大誓の言、然り。曰く、「小人、姦巧を見て乃ち聞くも、言わざれば、發せらるる罪は鈞し」と。此れ淫僻を見て以て告げざる者は、其の罪も亦た猶お淫僻なる者のごときを言うなり。
-
『夜船閑話』本文此時人に尋ねて路頭を指すことを用ひず。只要す、尋常言語を省略して、爾の元気を長養せんことを。是故に云ふ、目力を養ふ者は常に瞑し、耳根を養ふ者は常に飽き、心気を養ふ者は常に黙すと。
-
『呻吟語』内篇・修身・之を忘言に付するに若かず之を忘言に付するに若かず。久しければ則ち明らかなり。明らかなるを得ざれば、自ら天の在る有るのみ。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る