正法眼蔵随聞記 / 巻五
一日奘問て云く、叢林勤學の行履と云ふは、如何、示して云く、只管打坐なり、或は樓上、或は閣下に定を營み、人に交はりて、雜談せず、聾者の如く、痙者の如くにして、常に獨坐を好むべきなり、一日參の次に示して云く、
新字:一日奘問て云く、叢林勤学の行履と云ふは、如何、示して云く、只管打坐なり、或は楼上、或は閣下に定を営み、人に交はりて、雑談せず、聾者の如く、痙者の如くにして、常に独坐を好むべきなり、一日参の次に示して云く、
書き下し
一日奘問て云く、叢林勤学の行履と云ふは、如何、示して云く、只管打坐なり、或は楼上、或は閣下に定を営み、人に交はりて、雑談せず、聾者の如く、痙者の如くにして、常に独坐を好むべきなり、一日参の次に示して云く、
現代語訳
ある日、懐奘が問うて言った。叢林で勤め学ぶふるまいというのは、どのようなものですか。示して言われた。ただひたすら坐ることである。あるいは楼の上、あるいは閣の下で定を営み、人にまじわって雑談せず、聾者のように、口のきけない者のようにして、常に独り坐ることを好むべきである。
解説
叢林の生活で何をするのかという問いに、一語で答える。場所は楼上でも閣下でもよく、条件は問われない。人と交わらず雑談しないという二つの否定が添えられ、聾者のように、口のきけない者のようにという強い比喩で、沈黙が具体的に示されている。前条の論争を避ける教えと直結している。
この章句が説くこと
只管打坐叢林沈黙雑談独坐定
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