正法眼蔵随聞記 / 巻四
亦後に相如大臣となりて、天下の事を行ひし時に、かたはらの大臣我れに任さぬ事をそねみて、相如をうたんと擬する時に、相如は處々ににげかくれ、わざと參內の時も參會せず、おぢおそれたる氣色なり、時に相如が家人いはく、かの大臣をうたんこと易きことなり、なにが故にかおぢかくれさせたまふと云ふ、相如か云く、我れ彼をおそるゝにあらず、我が眼を以て秦の將軍をも退け、秦の壁をも奪ひき、彼の大臣うつべきこと云ふにも足らず、然あれどもいくさを起し、つはものを集むることは、敵國を防ぐためなり、今ま左右の大臣として國を守るもの、若し二人なかをたがひていくさを起して、一人死せば一方缺くべし、然あらば敵國喜びていくさを起すべし、かるがゆゑに二人ともに全ふして國を守らんと思ふ故に、彼れといくさを起さずと云ふ、かの大臣此のことば聞て、はぢて還て來り拜して二人共に和して國をおさめしなり、相如身をわすれて道を存することかくの如し、今ま佛道存することも、彼の相如が心の如くなるべし、寧ろ道ありては死すとも、道無ふしていくることなかれと云云、
新字:亦後に相如大臣となりて、天下の事を行ひし時に、かたはらの大臣我れに任さぬ事をそねみて、相如をうたんと擬する時に、相如は処々ににげかくれ、わざと参内の時も参会せず、おぢおそれたる気色なり、時に相如が家人いはく、かの大臣をうたんこと易きことなり、なにが故にかおぢかくれさせたまふと云ふ、相如か云く、我れ彼をおそるゝにあらず、我が眼を以て秦の将軍をも退け、秦の壁をも奪ひき、彼の大臣うつべきこと云ふにも足らず、然あれどもいくさを起し、つはものを集むることは、敵国を防ぐためなり、今ま左右の大臣として国を守るもの、若し二人なかをたがひていくさを起して、一人死せば一方欠くべし、然あらば敵国喜びていくさを起すべし、かるがゆゑに二人ともに全ふして国を守らんと思ふ故に、彼れといくさを起さずと云ふ、かの大臣此のことば聞て、はぢて還て来り拝して二人共に和して国をおさめしなり、相如身をわすれて道を存することかくの如し、今ま仏道存することも、彼の相如が心の如くなるべし、寧ろ道ありては死すとも、道無ふしていくることなかれと云云、
書き下し
亦後に相如大臣となりて、天下の事を行ひし時に、かたはらの大臣我れに任さぬ事をそねみて、相如をうたんと擬する時に、相如は処々ににげかくれ、わざと参内の時も参会せず、おぢおそれたる気色なり、時に相如が家人いはく、かの大臣をうたんこと易きことなり、なにが故にかおぢかくれさせたまふと云ふ、相如か云く、我れ彼をおそるゝにあらず、我が眼を以て秦の将軍をも退け、秦の壁をも奪ひき、彼の大臣うつべきこと云ふにも足らず、然あれどもいくさを起し、つはものを集むることは、敵国を防ぐためなり、今ま左右の大臣として国を守るもの、若し二人なかをたがひていくさを起して、一人死せば一方欠くべし、然あらば敵国喜びていくさを起すべし、かるがゆゑに二人ともに全ふして国を守らんと思ふ故に、彼れといくさを起さずと云ふ、かの大臣此のことば聞て、はぢて還て来り拝して二人共に和して国をおさめしなり、相如身をわすれて道を存することかくの如し、今ま仏道存することも、彼の相如が心の如くなるべし、寧ろ道ありては死すとも、道無ふしていくることなかれと云云、
現代語訳
また後に相如が大臣となって天下の事を行った時、かたわらの大臣が、自分に任されないことをそねんで相如を討とうとした時、相如は所々に逃げ隠れ、わざと参内の時も参会せず、恐れおののいた様子であった。その時、相如の家人が言った。あの大臣を討つことはたやすいことです。なぜ恐れて隠れておいでなのですか、と言う。相如が言った。わたしは彼を恐れているのではない。わたしの眼をもって秦の将軍をも退け、秦の璧をも奪った。あの大臣を討つことなど言うにも足りない。しかしながら、軍を起こし兵を集めることは、敵国を防ぐためである。今、左右の大臣として国を守る者が、もし二人仲たがいして軍を起こし、一人が死ねば一方が欠けるであろう。そうなれば敵国は喜んで軍を起こすであろう。それゆえに二人ともに全うして国を守ろうと思うから、彼と軍を起こさないのだ、と言う。あの大臣はこの言葉を聞いて、恥じてかえって来て拝し、二人ともに和して国を治めたのである。相如が身を忘れて道を保つことは、このようであった。今、仏道を保つことも、あの相如の心のようであるべきである。むしろ道があって死ぬとも、道がなくて生きることのないように、と。
解説
この章句が説くこと
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『翁問答』上卷之末夫軍法の本意は国家安穏武運長久にして万民を恵まん為なるにかへつて万民も其毒にあたり、其身の運もつき国家も絶滅する基となれば、軍法に達し軍功をたつるも、畢竟は無益のいたずら事なり、其上陰謀をのみもつはらとし、詐力に任して仁義の徳なきは、たとへ韓信項羽の才ありといふとも、節制の敵にさへ楯つくことあたはず、まして仁義の師に敵せん事、立車にむかへる螳螂に異ならず、太白陰経に斉の伎撃は魏の武卒にあふべからず、魏の武卒は秦の鋭士に勝ことあたはず、秦の鋭士は桓文の節制にあたるべからず、桓文の節制は湯武の仁義に敵す可からずといへるこゝろよく玩味あるべし、しかるゆへに孫子の五事はみちを第一とし、呉子の兵法は和をもつて先とす、道といへるも和といへるも、みな仁義の徳のことなり、儒門の心学の外に此徳を明かにすべき道なければ、心学をつとめてその徳をあきらかにしてのちに、軍法をまなびたるがよしといふ事分明なり、とても軍法を学ばんとならば天下に敵なき仁者の軍法をまなびたるがよろしきか。
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『呻吟語』内篇・倫理・惟だ和のみ妙と為し、深と為し、速と為し、難と為す人子の和氣・愉色・婉容、發し得て深き時、養ひ得て定まる時、父母の冷面寒鐵、雷霆震怒に任せて、只だ是れ這の一腔の溫意、一面の春風なれば、則ち自ら回らざるの天無く、自ら屢〻變ずるの天無し。讒譖何に由りてか入らん、嫌隙何に由りてか作らん。其の次は敬慎に如くは莫し。夔夔齋栗は、敬慎の至りなり、故に瞽瞍も亦た允に若へり。溫和は人に示すに愛す可きを以てし、父母の惡怒を消融す。敬慎は人に示すに矜れむ可きを以てし、父母の悲憐を激發す。所謂誠意を積みて以て之を感動する者は、和を養ひ敬を致すの謂ひなり。蓋し親を格すの功は、惟だ和のみ妙と為し、深と為し、速と為し、難と為す。至性純孝の者に非ざれば能はず。敬慎は猶ほ勉強す可きのみ。而今の人子は涼薄の色、惰慢の身、驕蹇の性を以てし、父母の怒りを犯すに及びて、既に挽回するを肯んぜず、又倨傲にして以て之を甚だしくす。此れ其の人は孝弟の外に在り、故に論ずるに足らず。即ち平日溫愉の子有るも、父母の悅ばざるに當たりて亦た慍見し、或いは疑ひを生じて怒りを遷す者、或いは意に遷怒無くして嫌を避けざる者、或いは善く嫌を避けずして愈〻避けて愈〻嫌を冒す者あり。隙を積みて釁を成し、遂に不祥を致す。豈に父母の慈ならざらんや。此れ孤臣孽子の法戒、志を堅くし仁に熟するの妙道なり。
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『春秋左氏伝』桓公十一年 師の克つは和に在り十一年春、齊・衛・鄭・宋惡曹に盟ふ。楚の屈瑕將に貳・軫と盟はんとす。鄖人蒲騷に軍し、將に隨・絞・州・蓼と楚の師を伐たんとす。莫敖之を患ふ。鬬廉曰く、「鄖人其の郊に軍す、必ず誡めず。且つ日に四邑の至るを虞(まつ)。君郊郢に次して、以て四邑を禦げ。我銳師を以て宵に鄖に加へん。鄖は虞る心有りて其の城を恃み、鬥志有る莫し。若し鄖の師を敗らば、四邑必ず離れん」と。莫敖曰く、「盍ぞ師を王に濟さんことを請はざる」と。對へて曰く、「師の克つは和に在りて、眾に在らず。商・周の敵せざるは、君の聞く所なり。軍を成して以て出づ、又何ぞ濟さん」と。莫敖曰く、「之を卜せんか」と。對へて曰く、「卜は以て疑ひを決す。疑はずんば何ぞ卜せん」と。遂に鄖の師を蒲騷に敗り、卒に盟ひて還る。鄭の昭公の北戎を敗るや、齊人將に之に妻はせんとす。昭公辭す。祭仲曰く、「必ず之を取れ。君に內寵多し。子に大援無くんば、將に立たざらんとす。三公子皆君なり」と。從はず。夏、鄭の莊公卒す。
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『弁名』中庸和衷之を天下の大本と謂ふ者は、乃ち聖の道を建つる、乃ち人の是の性有るに率ひて之を立て、天下の万事焉に本づかざるは莫きを謂ふのみ。「発して皆節に中る」とは、礼楽の教へ、以て人の徳を養ふ、故に能く喜怒哀楽の発をして皆節に中らしむるを謂ひて、以て先王の道の人性と相和順して悖らざるを見すのみ。故に「和は天下の達道なり」と曰ふ。即ち「性に率ふ之を道と謂ふ」の意なり。喜怒哀楽の節に中るを和と為すを謂ふに非ざるなり。宋儒は古言に昧く、又た古の道を知らず、故に其の解皆誤れり。学者諸を察せよ。
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『政談』諸役人に器量を選ふ事是我か職分の重き所を知らぬ故、御政務の筋に我か才智を出たすが我か職分と心得る故、上より才智を出せは下の才智は出ぬ物なり、前に云ひたる和して同せすと云ふ本文聖賢の奥義なることを知らす、下と才智争ひになる故、上の威光に圧れて下の才智は引込むなり、上たる人下と才智を争ふは是上たる人をとなしき心なくて若輩なる事なり、上は抂けて下を育つるは上たる人の無智なるにあらす、
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尚書・多方天惟れ五年、之の子孫を須暇(ま)ち、誕いに民主と作らしめんとするも、念聴すべき罔し。天惟れ爾多方に求め、大いに動かすに威を以てし、厥の天を顧みるを開かんとす。惟れ爾多方、之を顧みるに堪ふる罔し。惟れ我が周王、旅を霊承し、克く徳を用ふるに堪へ、惟れ神天を典る。天惟れ式て我に教ふるに休を用てし、殷の命を簡び畀へ、爾多方を尹(をさ)めしむ。今我曷ぞ敢へて多く誥げんや。我惟れ大いに爾四国の民の命を降す。爾曷ぞ爾多方に忱裕せざる。爾曷ぞ我が周王を夾介乂して、天の命を享けざる。今爾尚ほ爾の宅に宅し、爾の田を畋(たがや)す。爾曷ぞ王に恵ひて天の命を熙(ひろ)めざる。爾乃ち迪みて屢々静かならず、爾の心未だ愛せず。爾乃ち大いに天命に宅せず、爾乃ち屑かも天命を播(す)つ。爾乃ち自ら不典を作し、正に忱あらんことを図る。我惟れ時に其れ之を教告し、我惟れ時に其れ之を戦ひて要囚し、再に至り、三に至る。乃ち我が爾の命を降すを用ひざる有らば、我乃ち其れ大いに罰して之を殛(ころ)さん。我有周の徳を秉りて康寧ならざるに非ず、乃ち惟れ爾自ら辜を速くなり。』王曰く、『嗚呼(ああ)!猷、爾有方の多士、暨び殷の多士に告ぐ。今爾奔走して我が監に臣たること五祀、越び惟れ胥伯小大の多正有り、爾臬とする克はざる罔し。自ら不和を作す、爾惟れ和せよや。爾の室睦まじからず、爾惟れ和せよや。爾の邑克く明らかなれば、爾惟れ克く乃の事に勤めよ。爾尚はくは凶徳を忌まず、亦則ち穆穆として乃の位に在り、克く乃の邑を閲し、爾を謀介せよ。乃ち時の洛邑よりして、尚はくは永く力めて爾の田を畋せ。天惟れ爾を畀へ矜れまん。我有周惟れ其れ大いに爾に介賚し、迪めて簡びて王庭に在らしめ、尚はくは爾事へて、服有りて大僚に在らん。』王曰く、『嗚呼(ああ)!多士よ。爾克く我が命に勧め忱あらずんば、爾亦則ち惟れ享くる克はず、凡そ民惟れ享せずと曰はん。爾乃ち惟れ逸惟れ頗にして、大いに王命に遠ざからば、則ち惟れ爾多方天の威を探る、我則ち天の罰を致し、爾の土より離逖せしめん。』王曰く、『我惟れ多く誥げず、我惟れ祗みて爾に命を告ぐ。』又曰く、『時れ惟れ爾の初めなり、和に敬する克はずんば、則ち我を怨む無かれ。』」

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