正法眼蔵随聞記 / 巻二
予後に此の理を案ずるに、語錄公案等を見て古人の行履をも知り、あるひは迷者のために說き聽かしめん、皆な是れ自行化他のために畢竟じて無用なり、只管打坐して大事をあきらめなば、後には一字を知らずとも、他に開示せんに用ひつくすべからず、故に彼の僧畢竟してなにの用ぞとは云ひける、是れ眞實の道理なりと思ひて、其の後語錄等を見ることをやめて、一向に打坐して大事を明らめ得たり、
新字:予後に此の理を案ずるに、語録公案等を見て古人の行履をも知り、あるひは迷者のために説き聴かしめん、皆な是れ自行化他のために畢竟じて無用なり、只管打坐して大事をあきらめなば、後には一字を知らずとも、他に開示せんに用ひつくすべからず、故に彼の僧畢竟してなにの用ぞとは云ひける、是れ真実の道理なりと思ひて、其の後語録等を見ることをやめて、一向に打坐して大事を明らめ得たり、
書き下し
予後に此の理を案ずるに、語録公案等を見て古人の行履をも知り、あるひは迷者のために説き聴かしめん、皆な是れ自行化他のために畢竟じて無用なり、只管打坐して大事をあきらめなば、後には一字を知らずとも、他に開示せんに用ひつくすべからず、故に彼の僧畢竟してなにの用ぞとは云ひける、是れ真実の道理なりと思ひて、其の後語録等を見ることをやめて、一向に打坐して大事を明らめ得たり、
現代語訳
わたしは後にこの理を考えるに、語録や公案などを見て古人のふるまいをも知り、あるいは迷える者のために説き聞かせようとすることも、みなこれは自らの行と他の教化のためであって、つまるところ無用である。ただひたすら坐って大事を明らめたならば、後には一字を知らなくとも、他に開き示すのに用い尽くせないほどである。だからあの僧は、つまるところ何の用があるのかと言ったのである。これは真実の道理であると思って、その後は語録などを見ることをやめて、ひたすらに坐って大事を明らめ得たのである。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻二一日示して云く、吾れ在宋の時、禅院にして古人の語録を見し時、ある西川の僧、道者にてありしが、我に問て云く、語録を見て何の用ぞ、答て云く、古人の行履を知ん、僧の云く、何の用ぞ、云く郷里にかへりて人を化せん、僧の云く、何の用ぞ、云く利生のためなり、僧の云く、畢竟して何の用ぞと、
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『正法眼蔵随聞記』巻五ときに奘問て云く、打坐と看読とならべて此を学するに、語録公案等を見るには、百千に一つも聊か心得ることも出来るなり、坐禅にはそれほどのことの験しもなし、然かあれども猶ほ坐禅を好むべきか、答て云く、公案話頭を見て聊か知覚有る様なりとも、それは仏祖の道にとほざかる因縁なり、無所得無所悟にて、端坐して時を移さば、即祖道なるべし、古人も看語祇管坐禅ともに勧めたれども、猶ほ坐をもはらにすゝめしなり、亦話頭に依てさとりをひらきたる人あれども、其れも坐の功に依りてさとりのひらくる因縁なり、まさしきは坐によるべし、
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『正法眼蔵随聞記』巻五示して云く、学道の最要は坐禅これ第一なり、大宋の人多く得道すること、みな坐禅のちからなり、一文不通にて無才愚癡の人も、坐禅をもつぱらすれば、その禅定の功により、多年の久学聰明の人にも勝るゝなり、しかあれば学人は祇管打坐して、他を管することなかれ、仏祖の道は只坐禅なり、他事に順ずべからず、
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『正法眼蔵随聞記』巻一世人多くは、我はもとより人にもよしと云はれ思はれんと思ふなり、然あれども能くも云はれ、思はれざるなり、次第に我執を捨て知識の言に随ひゆけば、精進するなり、理をば心得たるやうに云て、さはさにあれども我は其事を捨にぬと云て執し好み、修すれば、弥よ沈淪するなり、禅僧の能くなる第一の用心は、只管打坐すべきなり、利鈍賢愚を論せず坐禅すれば、自然によくなるなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻二此の如く道を求る志し切になりなば、或は只管打坐の時、或は古人の公案に向はん時、若くは知識に逢はん時、実の志しを以て行ずる時、高くとも射つべく、深しとも釣りぬべし、是れほどの心発らずして、仏道の一念に生死の輪廻をきる大事をば如何んが成ぜん、若し此の心あらん人は、下智劣根をも云はず、愚癡悪人をも論ぜず、必ず悟りを得べきなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻二因に問て云く、学人若し自己これ仏法なり、外に向て求むべからずとききて、深く此の言を信じて、向来の修行参学を放下して、本性に任せて善悪の業をなして、一期を過さん、此の見解いかん、示して云く、此の見解、言と理と相違せり、外に向て求むべからずと云て、行を捨て学を放下せば、此の放下の行を以て所求ありときこへたり、これ覓めざるにはあらず、只行学もとより仏法なりと證して、無所求にして、世事悪業等は我が心になしたくともなさず、学道修行の懶うきをもいとひかへりみず、此行を以て打成一片に修して、道成するも、果を得るも、我が心より求ることなふして行ずるをこそ、外に向て覓むることなかれと云ふ道理にはかなふべけれ、