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正法眼蔵随聞記 / 巻二

予後に此の理を案ずるに、語錄公案等を見て古人の行履をも知り、あるひは迷者のために說き聽かしめん、皆な是れ自行化他のために畢竟じて無用なり、只管打坐して大事をあきらめなば、後には一字を知らずとも、他に開示せんに用ひつくすべからず、故に彼の僧畢竟してなにの用ぞとは云ひける、是れ眞實の道理なりと思ひて、其の後語錄等を見ることをやめて、一向に打坐して大事を明らめ得たり、

新字:予後に此の理を案ずるに、語録公案等を見て古人の行履をも知り、あるひは迷者のために説き聴かしめん、皆な是れ自行化他のために畢竟じて無用なり、只管打坐して大事をあきらめなば、後には一字を知らずとも、他に開示せんに用ひつくすべからず、故に彼の僧畢竟してなにの用ぞとは云ひける、是れ真実の道理なりと思ひて、其の後語録等を見ることをやめて、一向に打坐して大事を明らめ得たり、

書き下し

予後に此の理を案ずるに、語録公案等を見て古人の行履をも知り、あるひは迷者のために説き聴かしめん、皆な是れ自行化他のために畢竟じて無用なり、只管打坐して大事をあきらめなば、後には一字を知らずとも、他に開示せんに用ひつくすべからず、故に彼の僧畢竟してなにの用ぞとは云ひける、是れ真実の道理なりと思ひて、其の後語録等を見ることをやめて、一向に打坐して大事を明らめ得たり、

現代語訳

わたしは後にこの理を考えるに、語録や公案などを見て古人のふるまいをも知り、あるいは迷える者のために説き聞かせようとすることも、みなこれは自らの行と他の教化のためであって、つまるところ無用である。ただひたすら坐って大事を明らめたならば、後には一字を知らなくとも、他に開き示すのに用い尽くせないほどである。だからあの僧は、つまるところ何の用があるのかと言ったのである。これは真実の道理であると思って、その後は語録などを見ることをやめて、ひたすらに坐って大事を明らめ得たのである。

解説

三度の問いを受けて出した結論である。語録を読むことも人に説くことも、坐って大事を明らめるという一点の前では手段にすぎない。明らめてしまえば、一字知らなくとも説くには足りるという逆転が置かれる。そして実際に語録を読むのをやめたと結ぶ。前条の外典への未練と対をなし、こちらは断ち切った例になっている。

この章句が説くこと

只管打坐語録公案大事手段自行

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