正法眼蔵随聞記 / 巻二
さればとて亦人の惡しゝと思ひ云んも苦るしかるべからずとて、放逸にして惡事を行して、人を愧ぢざるは是れ亦非なり、ただ人目にはよらずして、一向に佛法に依て行ずべきなり、佛法の中には亦然のごときの放逸無慚をば制するなり
新字:さればとて亦人の悪しゝと思ひ云んも苦るしかるべからずとて、放逸にして悪事を行して、人を愧ぢざるは是れ亦非なり、ただ人目にはよらずして、一向に仏法に依て行ずべきなり、仏法の中には亦然のごときの放逸無慚をば制するなり
書き下し
さればとて亦人の悪しゝと思ひ云んも苦るしかるべからずとて、放逸にして悪事を行して、人を愧ぢざるは是れ亦非なり、ただ人目にはよらずして、一向に仏法に依て行ずべきなり、仏法の中には亦然のごときの放逸無慚をば制するなり
現代語訳
そうかといって、また人が悪いと思い言うのも苦しくはないといって、放逸にして悪事を行い、人に恥じないのは、これもまた非である。ただ人目にはよらずに、ひたすら仏法によって行ずべきである。仏法の中では、またこのような放逸無慚を制するのである。
解説
人目によらないという教えが、恥知らずの口実に転じるのを先回りして封じている。基準を世間から仏法へ移すのであって、基準そのものを無くすのではない。前の巻の、外相を飾るなという教えのあとに同じ封じ方が置かれており、この書が一方に振れきらないよう繰り返し均衡を取っていることが分かる。自由と放埒の境目が、ここで引かれている。
この章句が説くこと
放逸無慚人目仏法基準恥
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