新序 / 儒家
新序(儒家)の名句を、現代語訳と実践の解説つきで。全251句。
前漢の劉向(前七七〜前六)が、宮中の書庫に残る古い記録から逸話を集めて編んだ本です。『説苑』の姉妹編で、同じ著者・同じ作り。一段が一つの逸話で、抽象的な教えではなく「この人がこう言い、こうなった」という形だけで話が進みます。構成は雜事第一から第五、刺奢第六、節士第七、義勇第八、善謀第九・第十の十篇。前半の雜事は君臣のあいだで起きたことを主題を決めずに並べ、後半の四篇で、贅沢・節・勇・謀という主題ごとに人物を集めます。節士第七と義勇第八は、断り方の見本市です。子臧は君主の位を差し出されて「君となるのは吾が節に非ず」と断り、延陵季子は同じ言葉を引いて三たび辞退し、自分のために王が殺されて国を差し出されたときは「爾我が君を殺す。吾爾の国を受くれば、是れ吾爾と乱を為すなり」と言って国を出ました。子罕は玉を献じられて「我は不貪を以て宝と為す。爾は玉を以て宝と為す。若し我に与うれば、皆な宝を喪うなり」と返し、鄭の宰相は魚の贈り物を「吾魚を嗜むを以て、故に魚を受けず」と断ります。ただし、この書は断る人を褒めるだけでは終わりません。編者の評が、しばしば主人公に厳しく入ります。嗟来の食を拒んで餓死した男には曾子が「其の嗟するや去る可し。其の謝するや食らう可し」と言い、世を否として餓死した鮑焦には「行い特なる者は其の徳厚からず」と評が下り、三度の敗走を三つの首で償ってなお戦って死んだ卞荘子には「世を滅し家を断つは、孝に終わらざるなり」と書かれます。節を貫くことと、貫きすぎることの境目が、同じ篇のなかで何度も測り直されている本です。善謀第九・第十は、春秋戦国から前漢までの献策を時代順に並べます。宮之奇の「唇亡ぶれば則ち歯寒し」、燭之武が一夜で秦を退かせた弁論、虞卿が六城を秦ではなく斉に贈らせた逆転、韓信が項羽の強さを「匹夫の勇」と「婦人の仁」に解いた面接、張良が箸を借りて八つの不可を数えた場面、そして王恢と韓安国が四往復した対匈奴の大論争。商鞅の変法をめぐる三大夫の討論では、編者は反対した甘竜・杜摯の側を「善謀」と呼び、採用された衛鞅の案を「過言」と書いています。師導では全十篇二百十八章を二百五十一の章句に収め、底本五万八千七百五十四字の百パーセントを覆いました。底本は「字は四庫全書本、句読点は維基文庫の標點本から機械転写」という組み方をしています。標點本は句読点が付いている代わりに字が系統的に壊れていて、二つの証人(四庫全書本・四部叢刊本)が一致して違いを示す箇所が、復を複と書く五十五件、詐を軸と書く十八件、鴻鵠を檻鵠と書く九件などありました。そこで四庫全書本を字の底本に採り、巻ごとに標點本と機械で揃えて句読点だけを移し、食い違った位置は四庫本の字を残しています。四庫本の欠字四十八箇所のうち三十八箇所は証人の字で埋め、証人も欠いている十箇所は文脈から推測できるものも補わずに残しました。学派は「儒家」に置いています。『説苑』と同じ著者・同じ作りの書だからです。