新序 / 雜事第二
魏龎恭與太子質於邯鄲,謂魏王曰:「今一人來言市中有虎,王信之乎?」王曰:「否。」曰:「二人言,王信之乎?」曰:「寡人疑矣。」曰:「三人言,王信之乎?」曰:「寡人信之矣。」龎恭曰:「夫市之無虎明矣,三人言而成虎。今邯鄲去魏逺於市,議臣者過三人,願王察之也。」魏王曰:「寡人知之矣。」及龎恭自邯鄲反,讒口果至,遂不得見。
新字:魏龎恭与太子質於邯鄲,謂魏王曰:「今一人来言市中有虎,王信之乎?」王曰:「否。」曰:「二人言,王信之乎?」曰:「寡人疑矣。」曰:「三人言,王信之乎?」曰:「寡人信之矣。」龎恭曰:「夫市之無虎明矣,三人言而成虎。今邯鄲去魏遠於市,議臣者過三人,願王察之也。」魏王曰:「寡人知之矣。」及龎恭自邯鄲反,讒口果至,遂不得見。
書き下し
魏の龐恭太子と邯鄲に質たり。魏王に謂いて曰く、今一人來たりて市中に虎有りと言わば、王之を信ぜんか、と。王曰く、否、と。曰く、二人言わば、王之を信ぜんか、と。曰く、寡人疑わん、と。曰く、三人言わば、王之を信ぜんか、と。曰く、寡人之を信ぜん、と。龐恭曰く、夫れ市の虎無きは明らかなり。三人言いて虎を成す。今邯鄲の魏を去ること市よりも遠し。臣を議する者は三人に過ぎん。願わくは王之を察せよ、と。魏王曰く、寡人之を知れり、と。龐恭の邯鄲より反るに及び、讒口果たして至り、遂に見ゆるを得ず。
現代語訳
魏の龐恭が太子とともに邯鄲へ人質として行くことになった。魏王に言った。「いま一人が来て市の中に虎がいると言ったら、王はそれを信じますか」。王は言った。「信じない」。言った。「二人が言ったら、王はそれを信じますか」。言った。「私は疑うだろう」。言った。「三人が言ったら、王はそれを信じますか」。言った。「私はそれを信じるだろう」。龐恭は言った。「そもそも市に虎がいないのは明らかです。三人が言えば虎ができあがるのです。いま邯鄲が魏から離れている距離は、市よりずっと遠い。臣について議論する者は三人では済みますまい。どうか王はよくお見きわめください」。魏王は言った。「私は分かっている」。龐恭が邯鄲から帰るころには、中傷の口がやはり届いており、ついに謁見を許されなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・憲問篇公伯寮、子路を季孫に愬う。子服景伯以て告げて曰く、「夫子固より公伯寮に惑志有り。吾が力猶お能く諸を市朝に肆さん。」子曰く、「道の将に行われんとするや、命なり。道の将に廃れんとするや、命なり。公伯寮其れ命を如何せん。」
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論語・顔淵篇子張、明を問う。子曰く、「浸潤の譖、膚受の愬、行われざれば、明と謂う可きのみ。浸潤の譖、膚受の愬、行われざれば、遠しと謂う可きのみ。」
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説苑・雜言祁射子、秦の惠王に見え、惠王之を說ぶ。是に於いて唐姑之を讒し、復た見ゆるに、惠王怒りを懷きて以て之を待つ。其の說く所異なるに非ざるなり、聽く所の易わればなり。故に徵を以て羽と為すは、絃の罪に非ざるなり。甘きを以て苦しと為すは、味を限るの過ちなり。
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牧民忠告・聽訟健訟(けんしょう)の者理或いは勝たざれば、則ち往往にして其の敵嘗て官長を謗(そし)ると誣(し)う。之を聴く者当(まさ)に心を平らかにし気を易(やわ)らげ、謗言(ぼうげん)を事外(じがい)に置き、惟(た)だ其の実を核(ただ)して之を遣(や)るべし、庶(こいねが)わくは奸民(かんみん)の計中(けいちゅう)に堕(お)ちざらんことを。
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史記 司馬穰苴列伝已にして大夫鮑氏・高・国の属之を害み、景公に譖る。景公、穰苴を退く。苴、疾を発して死す。田乞・田豹の徒、此れに由り高・国等を怨む。其の後、田常の簡公を殺すに及び、尽く高子・国子の族を滅ぼす。常の曾孫和に至り、因りて自立して斉の威王と為り、兵を用ゐ威を行ふに、大いに穰苴の法に放ひ、而して諸侯斉に朝す。
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史記 伍子胥列伝呉の太宰嚭既に子胥と隙有り、因りて讒して曰く、「子胥の人と為りは剛暴にして恩少なく、猜賊なり。其の怨望、恐らく深禍を為さん。前日王斉を伐たんと欲し、子胥以て不可と為すも、王卒に之を伐ちて大功有り。子胥其の計謀の用ゐられざるを恥ぢ、乃ち反って怨望す。而して今王又復た斉を伐つに、子胥専愎彊諫し、用事を沮毀し、徒に呉の敗るるを幸ひて以て自ら其の計謀に勝たんとするのみ。今王自ら行き、国中の武力を悉くして以て斉を伐つに、子胥諫め用ゐられず、因りて輟めて謝し、病を詳りて行かず。王備へざる可からず、此れ禍を起こすこと難からず。且つ嚭人をして微かに之を伺はしむるに、其の斉に使ひするや、乃ち其の子を斉の鮑氏に属す。夫れ人臣為りて、内に意を得ず、外に諸侯に倚り、自ら以て先王の謀臣と為し、今用ゐられず、常に鞅鞅として怨望す。願はくは王早く之を図れ」と。呉王曰く、「微子の言、吾も亦た之を疑へり」と。乃ち使ひをして伍子胥に属鏤の剣を賜はしめて曰く、「子此れを以て死せ」と。伍子胥天を仰ぎ嘆じて曰く、「嗟乎、讒臣嚭乱を為し、王乃ち反って我を誅す。我、若の父をして覇たらしむ。若の未だ立たざりし時自り、諸公子立つを争ふに、我死を以て之を先王に争ひ、幾んど立つを得ざらんとす。若既に立つを得るや、呉国を分かちて我に予へんと欲するも、我顧って敢て望まざるなり。然るに今若、諛臣の言を聴きて以て長者を殺す」と。乃ち其の舎人に告げて曰く、「必ず吾が墓の上に樹うるに梓を以てし、以て器を為る可からしめよ。而して吾が眼を抉りて呉の東門の上に縣けよ、以て越寇の入りて呉を滅ぼすを観ん」と。乃ち自剄して死す。呉王之を聞き大いに怒り、乃ち子胥の尸を取り盛るに鴟夷の革を以てし、之を江中に浮かぶ。呉人之を憐み、為に祠を江上に立て、因りて命づけて胥山と曰ふ。