新序 / 雜事第三
昔者,秦魏為與國,齊楚約而欲攻魏,魏使人求救於秦,冠蓋相望,秦救不出。魏人有唐且者,年九十餘,謂魏王曰:「老臣請西説秦,令兵先臣出,可乎?」魏王曰:「敬諾。」遂約車而遣之。且見秦王。秦王曰:「丈人罔然乃逺至此,甚苦矣。魏來求救數矣,寡人知魏之急矣。」唐且答曰:「大王已知魏之急而救不至,是大王籌筴之臣失之也。且夫魏一萬乘之國也。稱東藩,受冠帶,祠春秋者,為秦之强,足以為與也。今齊楚之兵已在魏郊矣,大王之救不至,魏急則且割地而約齊楚,王雖欲救之,豈有及哉?是亡一萬乘之魏,而强二敵之齊楚也。竊以為大王籌筴之臣失之矣。」秦王懼然而悟,遽發兵救之,馳鶩而往,齊楚聞之,引兵而去,魏氏復故。唐且一説,定彊秦之莢解魏國之患,散齊楚之兵,一舉而折衝消難,辭之功也。孔子曰:「言語宰我、子貢。」故詩曰:「辭之集矣,民之洽矣;辭之懌矣,民之莫矣。」唐且有辭,魏國賴之,故不可以已。
新字:昔者,秦魏為与国,斉楚約而欲攻魏,魏使人求救於秦,冠蓋相望,秦救不出。魏人有唐且者,年九十余,謂魏王曰:「老臣請西説秦,令兵先臣出,可乎?」魏王曰:「敬諾。」遂約車而遣之。且見秦王。秦王曰:「丈人罔然乃遠至此,甚苦矣。魏来求救数矣,寡人知魏之急矣。」唐且答曰:「大王已知魏之急而救不至,是大王籌筴之臣失之也。且夫魏一万乗之国也。称東藩,受冠帯,祠春秋者,為秦之強,足以為与也。今斉楚之兵已在魏郊矣,大王之救不至,魏急則且割地而約斉楚,王雖欲救之,豈有及哉?是亡一万乗之魏,而強二敵之斉楚也。窃以為大王籌筴之臣失之矣。」秦王懼然而悟,遽発兵救之,馳鶩而往,斉楚聞之,引兵而去,魏氏復故。唐且一説,定彊秦之莢解魏国之患,散斉楚之兵,一舉而折衝消難,辞之功也。孔子曰:「言語宰我、子貢。」故詩曰:「辞之集矣,民之洽矣;辞之懌矣,民之莫矣。」唐且有辞,魏国頼之,故不可以已。
書き下し
昔者、秦と魏と與國爲り。齊楚約して魏を攻めんと欲す。魏人をして救いを秦に求めしむ。冠蓋相望むも、秦の救い出でず。魏人に唐且なる者有り、年九十餘。魏王に謂いて曰く、老臣請う、西のかた秦に説き、兵をして臣に先んじて出でしめん。可ならんか、と。魏王曰く、敬んで諾す、と。遂に車を約して之を遣る。且秦王に見ゆ。秦王曰く、丈人罔然として乃ち遠く此に至る。甚だ苦しめり。魏の來たりて救いを求むること數ミなり。寡人魏の急を知れり、と。唐且答えて曰く、大王已に魏の急を知りて救い至らざるは、是れ大王の籌策の臣之を失えるなり。且つ夫れ魏は一萬乘の國なり。東藩と稱し、冠帶を受け、春秋を祠るは、秦の強を爲して、以て與を爲すに足ればなり。今齊楚の兵已に魏の郊に在り。大王の救い至らずんば、魏急なれば則ち且に地を割きて齊楚と約せんとす。王之を救わんと欲すと雖も、豈に及ぶ有らんや。是れ一萬乘の魏を亡して、二敵の齊楚を強くするなり。竊かに以爲えらく、大王の籌策の臣之を失えりと、と。秦王懼然として悟り、遽かに兵を發して之を救う。馳鶩して往く。齊楚之を聞き、兵を引きて去る。魏氏故に復す。唐且一たび説きて、彊秦の策を定め、魏國の患いを解き、齊楚の兵を散ず。一擧にして衝を折き難を消す。辭の功なり。孔子曰く、言語には宰我・子貢、と。故に詩に曰く、辭の集まれば、民之れ洽う。辭の懌べば、民之れ莫んず、と。唐且辭有り、魏國之に賴る。故に已む可からざるなり。
現代語訳
昔、秦と魏は同盟国であった。斉と楚が約束して魏を攻めようとした。魏は人をやって秦に救援を求めさせた。使者の冠と車蓋が途切れず続いたが、秦の救援は出なかった。魏の人に唐且という者がおり、年は九十余であった。魏王に言った。「老臣にどうか西へ行って秦を説かせてください。兵が臣より先に出るようにいたしましょう。よろしいでしょうか」。魏王は言った。「つつしんで承知した」。そこで車を用意して送り出した。唐且は秦王に会った。秦王は言った。「ご老人、はるばる遠くここまで来られた。ご苦労なことだ。魏が救いを求めてくることはたびたびであった。私は魏が急を告げていることを知っている」。唐且は答えた。「大王はすでに魏の急をご存じでありながら救援が来ないのは、大王の策を練る臣が誤っているのです。そもそも魏は万乗の国です。東の藩と称し、冠と帯を受け、春秋の祭りを行うのは、秦が強いからであって、同盟の相手とするに足るからです。いま斉と楚の兵はすでに魏の郊外にあります。大王の救援が来なければ、魏は急なので地を割いて斉・楚と結ぶでしょう。王がそれを救おうとされても、間に合いましょうか。それは万乗の魏を失って、二つの敵である斉と楚を強くすることです。ひそかに思いますに、大王の策を練る臣が誤っております」。秦王ははっとして悟り、急いで兵を出して救った。駆けに駆けて向かった。斉と楚はこれを聞き、兵を引いて去った。魏氏はもとに復した。唐且はひとたび説いて、強い秦の方策を定め、魏国の患いを解き、斉・楚の兵を散らした。一挙にして敵の攻撃をくじき難を消した。言葉の功である。孔子は言った。「言語では宰我と子貢」。だから『詩経』に「言葉が整えば、民は和らぐ。言葉が心地よければ、民は安らかになる」とある。唐且には言葉があり、魏国はそれに助けられた。だから言葉はおろそかにできないのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公元年 言を以て物を知る三月、甲辰、盟ふ。楚の公子圍服を設け衛を離ぬ。叔孫穆子曰く、「楚の公子美なり、君なるかな」と。鄭の子皮曰く、「二執戈の者前めり」と。蔡の子家曰く、「蒲宮に前有り、亦た可ならずや」と。楚の伯州犁曰く、「此の行や、辭して之を寡君に假れり」と。鄭の行人揮曰く、「假りて反さざらん」と。伯州犁曰く、「子姑く子皙の背誕せんと欲するを憂へよ」と。子羽曰く、「當璧猶ほ在り。假りて反さずとも、子其れ憂ひ無からんや」と。齊の國子曰く、「吾二子に代りて愍ふ」と。陳の公子招曰く、「憂へずんば何ぞ成らん。二子樂しめり」と。衛の齊子曰く、「苟くも或いは之を知らば、憂ふと雖も何ぞ害あらん」と。宋の合左師曰く、「大國令し、小國共す。吾共するを知るのみ」と。晉の樂王鮒曰く、「小旻の卒章善し。吾之に從はん」と。會より退く。子羽子皮に謂ひて曰く、「叔孫は絞にして婉、宋の左師は簡にして禮、樂王鮒は字しみて敬す。子と子家とは之を持す。皆保世の主なり。齊・衛・陳の大夫は、其れ免れざらんか。國子は人に代りて憂ひ、子招は憂ひを樂しみ、齊子は憂ふと雖も害せずとす。夫れ及ばずして憂ふると、憂ふべくして樂しむと、憂へて害せずとするとは、皆憂ひを取るの道なり。憂ひ必ず之に及ばん。大誓に曰く、『民の欲する所は、天必ず之に從ふ』と。三大夫憂ひを兆す、能く至ること無からんや。言以て物を知るとは、其れ是の謂なり」と。
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