新序 / 刺奢第六
齊宣王為大室,大蓋百畝,堂上三百户以齊國之大,具之三年而未能成,羣臣莫敢諫者。香居問宣王曰:「荆王釋先王之禮樂而為淫樂,敢問荆邦為有主乎?」王曰:「為無主。」「敢問荆邦為有臣乎?」王曰:「為無臣。」居曰:「今王為大室,三年不能成,而羣臣莫敢諫者,敢問王為有臣乎?」王曰:「為無臣。」香居曰:「臣請避矣。」趨而出。王曰:「香子留,何諫寡人之晩也?」遽召尚書曰:「書之,寡人不肖,好為大室,香子止寡人也。」
新字:斉宣王為大室,大蓋百畝,堂上三百戸以斉国之大,具之三年而未能成,羣臣莫敢諫者。香居問宣王曰:「荆王釈先王之礼楽而為淫楽,敢問荆邦為有主乎?」王曰:「為無主。」「敢問荆邦為有臣乎?」王曰:「為無臣。」居曰:「今王為大室,三年不能成,而羣臣莫敢諫者,敢問王為有臣乎?」王曰:「為無臣。」香居曰:「臣請避矣。」趨而出。王曰:「香子留,何諫寡人之晩也?」遽召尚書曰:「書之,寡人不肖,好為大室,香子止寡人也。」
書き下し
齊の宣王大室を爲る。大いさ百畝を蓋い、堂上三百戶なり。齊國の大なるを以てし、之を具うること三年にして未だ成る能わず。羣臣敢えて諫むる者莫し。香居宣王に問いて曰く、荊王先王の禮樂を釋てて淫樂を爲す。敢えて問う、荊邦は主有りと爲すか、と。王曰く、主無しと爲す、と。敢えて問う、荊邦は臣有りと爲すか、と。王曰く、臣無しと爲す、と。居曰く、今王大室を爲り、三年にして成る能わず。而して羣臣敢えて諫むる者莫し。敢えて問う、王は臣有りと爲すか、と。王曰く、臣無しと爲す、と。香居曰く、臣請う避けん、と。趨りて出づ。王曰く、香子留まれ。何ぞ寡人を諫むることの晩きや、と。遽かに尚書を召して曰く、之を書せ。寡人不肖にして、大室を爲るを好む。香子寡人を止めたり、と。
現代語訳
斉の宣王が大きな部屋を作った。広さは百畝を覆い、堂の上には三百の戸があった。斉国の大きさをもってしても、それを整えるのに三年かかってまだ完成しなかった。群臣であえて諫める者がなかった。香居が宣王に問うた。「楚王は先王の礼楽を捨てて、みだらな音楽をしております。あえてお尋ねします、楚の国には主がいるといえますか」。王は言った。「主はいないというべきだ」。「あえてお尋ねします、楚の国には臣がいるといえますか」。王は言った。「臣はいないというべきだ」。香居は言った。「いま王は大きな部屋を作り、三年たっても完成しません。それなのに群臣であえて諫める者がありません。あえてお尋ねします、王には臣がいるといえますか」。王は言った。「臣はいないというべきだ」。香居は言った。「臣はどうか退かせていただきます」。小走りに出て行った。王は言った。「香子よ、留まれ。どうして私を諫めるのがこんなに遅かったのか」。急いで書記官を召して言った。「これを書き留めよ。私は愚かにも、大きな部屋を作ることを好んだ。香子が私を止めた」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武訓』上・第27段もろこしの風俗、昔より、君をいさめて殺さるゝ、ことをしれども、いさむる人多きはなんぞや。其の國の人、うまれつき忠義ありて、風俗も、亦、氣節をたつとぶ。其の上、文字ありて、諫の道をしればなり。是、もろこしの長ずる所なるべし。日本の武士は、古より、戰塲にて、君のためたゝかひ死して、命をしまざる人多きはなんぞや。此の國の人は、天性武勇つよく、其の上、昔より、國の風俗にて、名をおもんずればなり。是、和漢の人の、各長ずる所なり。士氣ありて、死をおそれざるとは、和漢同じけれども、其志す所かはれるは、國のならはしにて文を好み、武を尙ぶの道異なるべし。故に、わが日の本は、世界の內にて、すぐれたる武國といふべし。只、中夏に比するに、文學甚おとれるのみ。
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『晏子春秋』諫下・景公以摶治之兵未成功將殺之晏子諫景公、兵をして摶治せしむ。臈に当たり、冰月の間にして寒く、民多く凍え餒え、而して功成らず。公怒りて曰く、「我が為に兵二人を殺せ」と。晏子曰く、「諾」と。少し間を為して、晏子曰く、「昔者、先君荘公の晋を伐つや、其の役に兵四人を殺せり。今、令して兵二人を殺さしむ。是れ師の半ばを殺すなり」と。公曰く、「諾。是れ寡人の過ちなり」と。令して之を止めしむ。
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『宋名臣言行録』前集巻一・李昉太宗、侍臣に語りて曰く、朕は唐の太宗に何如と。左右互いに辭を以て讚う。獨り昉のみ它言無く、㣲かに白居易の諷諌七徳舞の詞を誦して曰く、怨女三千宮を放ち出だし、死囚四百獄に來歸すと。上之を聞き、遽かに興ちて曰く、朕及ばず、朕及ばず。卿の言、朕を警ましむと。
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『新序』雜事第一昔者、魏の武侯事を謀りて當たり、羣臣能く逮ぶ莫し。朝して喜色有り。吳起進みて曰く、今者楚の莊王の語を以て聞く者有りや、と。武侯曰く、未だし。莊王の語は柰何、と。吳起曰く、楚の莊王事を謀りて當たり、羣臣能く逮ぶ莫し。朝して憂色有り。申公巫臣進みて曰く、君朝して憂色有るは何ぞや、と。莊王曰く、吾之を聞く、諸侯自ら師を擇ぶ者は王たり、自ら友を擇ぶ者は霸たり、己に足りて羣臣之に若く莫き者は亡ぶ、と。今不穀の不肖を以てして朝に議するに、且つ羣臣能く逮ぶ莫し。吾が國其れ亡ぶに幾し。吾是を以て憂色有るなり、と。莊王の憂うる所以にして、君獨り喜色有るは、何ぞや、と。武侯逡巡して謝して曰く、天夫子をして寡人の過ちを振わしむるなり、天夫子をして寡人の過ちを振わしむるなり、と。
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『春秋左氏伝』僖公十五年 韓原の戦い壬戌、韓原に戰ふ。晉の戎馬濘に還りて止まる。公慶鄭を號ぶ。慶鄭曰く、「諫に愎り卜に違ふ、固より敗を是れ求む、又何ぞ逃れん」と。遂に之を去る。梁由靡韓簡を御し、虢射右と為り、秦伯を輅へ、將に之を止めんとす。鄭公を救ふを以て之を誤らしめ、遂に秦伯を失ふ。秦晉侯を獲て以て歸る。晉の大夫首を反し舍を拔きて、之に從ふ。秦伯使ひして辭せしめて曰く、「二三子何ぞ其れ慼へるや。寡人の君に從ひて西するや、亦た晉の妖夢を是れ踐むのみ、豈に敢へて以て至らんや」と。晉の大夫三拜稽首して曰く、「君は后土を履みて皇天を戴く。皇天后土、實に君の言を聞く、群臣敢へて下風に在らん」と。穆姬晉侯の將に至らんとするを聞き、大子罃・弘と女簡・璧とを以て、臺に登りて薪を履む。免服衰絰を以て逆へしめ、且つ告げしめて曰く、「上天災を降し、我が兩君をして玉帛を以て相見えずして、戎を興すを以てせしむ。若し晉君朝に以て入らば、則ち婢子夕べに以て死せん。夕べに以て入らば、則ち朝に以て死せん。唯だ君之を裁け」と。乃ち諸を靈臺に舍らしむ。
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又喩ヘテ云ハ。賢君明主ハ忠臣ヲ信任シ。諫言ヲ用ル如クシヤ。漢ノ高祖カ諫ニ従フコト流ノ如ク。唐ノ太宗ノ魏徴カ苦諫ノ言ヲ用ヒアリシ類。ソノ如ク。正法ノ因縁アル者ハ必ス不邪見戒ニ随順スルシヤ。此ニ反シテ宿福ナキ者ハ。智者モ愚者モ。学者モ不学者モ仏アルコトヲ信セヌ。法アルコトヲ信セヌ。聖賢アルコトヲ信セヌ。神祇有コトヲ信セヌ。善悪報応有コトヲ信セヌシヤ。

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