新序 / 雜事第一
禹之興也以塗山,桀之亡也以末喜。湯之興也以有莘,紂之亡也以妲己。文、武之興也以任姒,幽王之亡也以褒姒。是以詩正闗雎而春秋褒伯姬也。樊姬,楚國之夫人也。楚莊王罷朝而晏,問其故。莊王曰:「今旦與賢相語,不知日之晏也。」樊姬曰:「賢相為誰?」王曰:「為虞丘子。」樊姬掩口而笑。王問其故,曰:「妾幸得執巾櫛以侍王,非不欲専貴擅愛也,以為傷王之義,故所進與妾同位者數人矣。今虞丘子為相數十年,未嘗進一賢。知而不進,是不忠也;不知,是不智也。安得為賢?」明日朝,王以樊姬之言告虞丘子,虞丘子稽首曰:「如樊姬之言。」於是辭位,而進孫叔敖。孫叔敖相楚,莊王卒以霸,樊姬與有力焉。
新字:禹之興也以塗山,桀之亡也以末喜。湯之興也以有莘,紂之亡也以妲己。文、武之興也以任姒,幽王之亡也以褒姒。是以詩正関雎而春秋褒伯姫也。樊姫,楚国之夫人也。楚荘王罷朝而晏,問其故。荘王曰:「今旦与賢相語,不知日之晏也。」樊姫曰:「賢相為誰?」王曰:「為虞丘子。」樊姫掩口而笑。王問其故,曰:「妾幸得執巾櫛以侍王,非不欲専貴擅愛也,以為傷王之義,故所進与妾同位者数人矣。今虞丘子為相数十年,未嘗進一賢。知而不進,是不忠也;不知,是不智也。安得為賢?」明日朝,王以樊姫之言告虞丘子,虞丘子稽首曰:「如樊姫之言。」於是辞位,而進孫叔敖。孫叔敖相楚,荘王卒以覇,樊姫与有力焉。
書き下し
禹の興るや塗山を以てし、桀の亡ぶや末喜を以てす。湯の興るや有莘を以てし、紂の亡ぶや妲己を以てす。文・武の興るや任姒を以てし、幽王の亡ぶや褒姒を以てす。是を以て詩は關雎を正しとし、春秋は伯姬を褒むるなり。樊姬は楚國の夫人なり。楚の莊王朝を罷めて晏し。其の故を問う。莊王曰く、今旦賢相と語り、日の晏きを知らざるなり、と。樊姬曰く、賢相とは誰爲るや、と。王曰く、虞丘子爲り、と。樊姬口を掩いて笑う。王其の故を問う。曰く、妾幸いに巾櫛を執りて以て王に侍するを得たり。貴を專らにし愛を擅にせんと欲せざるに非ず。以爲えらく王の義を傷つけんと。故に妾と位を同じくする者を進むること數人なり。今虞丘子相と爲ること數十年、未だ嘗て一賢をも進めず。知りて進めざるは、是れ不忠なり。知らざるは、是れ不智なり。安んぞ賢爲るを得んや、と。明日朝す。王樊姬の言を以て虞丘子に告ぐ。虞丘子稽首して曰く、樊姬の言の如し、と。是に於いて位を辭して孫叔敖を進む。孫叔敖楚に相たり。莊王卒に以て霸たり。樊姬與りて力有り。
現代語訳
禹が興ったのは塗山の女により、桀が滅んだのは末喜による。湯が興ったのは有莘の女により、紂が滅んだのは妲己による。文王・武王が興ったのは任と姒により、幽王が滅んだのは褒姒による。だから『詩経』は関雎を正しいものとし、『春秋』は伯姫をほめるのである。樊姫は楚国の夫人であった。楚の荘王が朝廷から退くのが遅かった。そのわけを問うた。荘王は言った。「今朝は賢い宰相と語り合って、日の傾くのに気づかなかったのだ」。樊姫は言った。「その賢い宰相とはどなたですか」。王は言った。「虞丘子である」。樊姫は口を覆って笑った。王がそのわけを問うた。樊姫は言った。「わたくしは幸いにも櫛と手ぬぐいを持って王にお仕えすることができました。貴い地位を独り占めし、ご寵愛を独占したくないわけではありません。それでは王の義を傷つけると思ったのです。ですから、わたくしと同じ位に進めた者が数人おります。ところが虞丘子は宰相となって十数年、いまだかつて一人の賢者も推挙しておりません。知っていて推挙しないなら、それは不忠です。知らないなら、それは不智です。どうして賢者といえましょうか」。翌日、朝廷に出た。王は樊姫の言葉を虞丘子に告げた。虞丘子は頭を下げて言った。「樊姫の言うとおりです」。そこで位を辞して孫叔敖を推挙した。孫叔敖は楚の宰相となり、荘王はついに覇者となった。樊姫はこれに力があった。
解説
この章句が説くこと
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