新序 / 雜事第四
晉人伐楚,三舍不止。大夫曰:「請擊之。」莊王曰:「先君之時,晉不伐楚,及孤之身,而晉伐楚,是寡人之過也。如何其辱諸大夫也?」大夫曰:「先君之時,晉不伐楚,及臣之身,而晉伐楚,是臣之罪也。請擊之。」莊王俛泣而起,拜諸大夫。晉人聞之曰:「君臣争以過為在己,且君下其臣猶如此,所謂上下一心,三軍同力,未可攻也。」乃夜還師。孔子聞之曰:「楚莊王霸其有方矣。下士以一言而敵還,以安社稷,其霸不亦宜乎?」詩曰:「柔逺能邇,以定我王。」此之謂也。
新字:晋人伐楚,三舎不止。大夫曰:「請撃之。」荘王曰:「先君之時,晋不伐楚,及孤之身,而晋伐楚,是寡人之過也。如何其辱諸大夫也?」大夫曰:「先君之時,晋不伐楚,及臣之身,而晋伐楚,是臣之罪也。請撃之。」荘王俛泣而起,拝諸大夫。晋人聞之曰:「君臣争以過為在己,且君下其臣猶如此,所謂上下一心,三軍同力,未可攻也。」乃夜還師。孔子聞之曰:「楚荘王覇其有方矣。下士以一言而敵還,以安社稷,其覇不亦宜乎?」詩曰:「柔遠能邇,以定我王。」此之謂也。
書き下し
晉人楚を伐ち、三舍にして止まず。大夫曰く、請う、之を撃たん、と。莊王曰く、先君の時、晉楚を伐たず。孤の身に及びて、晉楚を伐つ。是れ寡人の過ちなり。如何ぞ其れ諸大夫を辱めんや、と。大夫曰く、先君の時、晉楚を伐たず。臣の身に及びて、晉楚を伐つ。是れ臣の罪なり。請う、之を撃たん、と。莊王俛して泣きて起ち、諸大夫を拜す。晉人之を聞きて曰く、君臣爭いて過ちを以て己に在りと爲す。且つ君の其の臣に下ること猶お此くの如し。所謂上下心を一にし、三軍力を同じくす。未だ攻む可からざるなり、と。乃ち夜師を還す。孔子之を聞きて曰く、楚の莊王の霸たるは、其れ方有らんか。士に下ること一言を以てして敵還り、以て社稷を安んず。其の霸たるも亦た宜ならずや、と。詩に曰く、遠きを柔らげ邇きを能くし、以て我が王を定む、と。此の謂いなり。
現代語訳
晋の人が楚を伐ち、三十里ごとの宿営を三度重ねてもやめなかった。大夫は言った。「どうかこれを撃たせてください」。荘王は言った。「先君の時代には、晋は楚を伐たなかった。私の代になって、晋が楚を伐つ。これは私の過ちである。どうして大夫たちに恥をかかせられようか」。大夫は言った。「先君の時代には、晋は楚を伐ちませんでした。臣の代になって、晋が楚を伐つ。これは臣の罪です。どうかこれを撃たせてください」。荘王はうつむいて涙を流して立ち上がり、大夫たちを拝んだ。晋の人はこれを聞いて言った。「君と臣が、過ちは自分にあると争っている。そのうえ君が臣にへりくだることがこのようである。いわゆる上下が心を一つにし、全軍が力を同じくしている。攻めるべきではない」。そこで夜のうちに軍を返した。孔子はこれを聞いて言った。「楚の荘王が覇者となったのには、やはり道があったのだ。士にへりくだること一言をもってして敵が引き返し、それで国家を安んじた。覇者となったのも当然ではないか」。『詩経』に「遠きを和らげ近きを親しませ、それでわが王を安んじる」とある。これのことである。
解説
この章句が説くこと
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人生を、一行の式にしてみた。
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