新序 / 節士第七
齊大饑,黔敖為食於路,以待饑者而食之,有餓者□袂接履貿貿然來,黔敖左奉食,右執飲曰:「嗟!來食!」餓者揚其目而視之曰:「予唯不食嗟來之食,以至於此也。」從而謝焉,終不食而死。曾子聞之曰:「微與,其嗟也可去,其謝也可食。」
新字:斉大饑,黔敖為食於路,以待饑者而食之,有餓者□袂接履貿貿然来,黔敖左奉食,右執飲曰:「嗟!来食!」餓者揚其目而視之曰:「予唯不食嗟来之食,以至於此也。」従而謝焉,終不食而死。曽子聞之曰:「微与,其嗟也可去,其謝也可食。」
書き下し
齊大いに饑う。黔敖食を路に爲り、以て饑うる者を待ちて之に食らわしむ。餓うる者に□袂履を接し貿貿然として來たる有り。黔敖左に食を奉じ、右に飲を執りて曰く、嗟、來たり食らえ、と。餓うる者其の目を揚げて之を視て曰く、予唯だ嗟來の食を食らわず、以て此に至るなり、と。從いて謝す。終に食らわずして死す。曾子之を聞きて曰く、微かなるかな。其の嗟するや去る可し。其の謝するや食らう可し、と。
現代語訳
斉が大いに飢えた。黔敖が道端で食事を作り、飢えた者を待って食べさせた。飢えた者で、袖で顔を〔一字を欠く〕覆い履を引きずり、ふらふらと来る者があった。黔敖は左手に食べ物を捧げ、右手に飲み物を持って言った。「こら、来て食え」。飢えた者は目を上げてこれを見て言った。「私はただ、こらと言われて出される食を食べなかったので、ここまで来たのだ」。黔敖は追いかけて詫びた。とうとう食べずに死んだ。曾子はこれを聞いて言った。「微妙なところだ。こらと言われたのなら去ってよい。詫びたのなら食べてよい」。
解説
「嗟来の食」の出どころです。飢えの極みにいて、呼びかけ方ひとつで断りました。私はただ、こらと言われて出される食を食べなかったので、ここまで来たのだ。ここまで来たのは施しを断り続けたからだ、と言っています。相手は追いかけて詫びました。この章が置き去りにしないのは、そこです。こらと言われたのなら去ってよい。詫びたのなら食べてよい。筋は通っていた、しかし詫びた後まで通す必要はなかった、と。
この章句が説くこと
斉大いに饑う黔敖食を路に為り以て饑うる者を待ちて之に食らわしむ嗟来たり食らえ予唯だ嗟来の食を食らわず以て此に至るなり其の嗟するや去る可し其の謝するや食らう可し施し矜持
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