新序 / 善謀第十
漢六年,正月,封功臣,張子房未嘗有戰鬭之功,髙皇帝曰:「運籌䇿帷幄之中,决勝千里之外,子房功也,子房自擇齊三萬户良曰:「始臣起下邳,與上會留,此天以臣授陛下。陛下用臣計,幸而時中,臣願封留足矣,不敢當齊三萬户乃封良為留侯。
新字:漢六年,正月,封功臣,張子房未嘗有戦闘之功,高皇帝曰:「運籌策帷幄之中,決勝千里之外,子房功也,子房自択斉三万戸良曰:「始臣起下邳,与上会留,此天以臣授陛下。陛下用臣計,幸而時中,臣願封留足矣,不敢当斉三万戸乃封良為留侯。
書き下し
漢の六年、正月、功臣を封ず。張子房未だ嘗て戰鬭の功有らず。高皇帝曰く、籌策を帷幄の中に運らし、勝ちを千里の外に決するは、子房の功なり。子房自ら齊の三萬戸を擇べ、と。良曰く、始め臣下邳より起こり、上と留に會す。此れ天の臣を以て陛下に授くるなり。陛下臣の計を用い、幸いにして時に中たる。臣願わくは留に封ぜられて足れり。敢えて齊の三萬戸に當たらず、と。乃ち良を封じて留侯と爲す。
現代語訳
漢の六年、正月、功臣を封じた。張子房にはこれまで戦闘の功がなかった。高皇帝は言った。「帷幄の中で策をめぐらせ、千里の外に勝ちを決めるのは、子房の功である。子房は自ら斉の三万戸を選べ」。良は言った。「はじめ臣は下邳から身を起こし、主上と留で出会いました。これは天が臣を陛下に授けたのです。陛下は臣の計を用い、幸いに時に当たりました。臣はどうか留に封じていただければ十分です。あえて斉の三万戸には当たりません」。そこで良を封じて留侯とした。
解説
戦って首を取った功がゼロの人が、いちばん先に呼ばれます。帷幄の中で策をめぐらせ、千里の外に勝ちを決めるのは、子房の功である。しかも封地を自分で選べ、と言われました。選んだのは、最初に主君と出会った土地でした。断り方も、謙遜だけではありません。これは天が臣を陛下に授けたのです。陛下は臣の計を用い、幸いに時に当たりました。当たったのは運だ、と。
この章句が説くこと
張子房未だ嘗て戦闘の功有らず籌策を帷幄の中に運らし勝ちを千里の外に決するは子房の功なり子房自ら斉の三万戸を択べ臣願わくは留に封ぜられて足れり敢えて斉の三万戸に当たらず論功行賞参謀
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説苑・復恩晋の文公亡ぐるの時、陶叔狐従ふ、文公国に反り、三たび賞を行ひて陶叔狐に及ばず、陶叔狐咎犯に見えて曰く、「吾君に従ひて亡ぐること十有三年、顔色黎黒、手足胼胝せり、今君国に反りて三たび賞を行ふも我に及ばず、意ふに君我を忘れたるか、我大故有るか、子試みに我が為に之を君に言へ」と。咎犯之を文公に言ふ、文公曰く、「嘻、我豈に是の子を忘れんや。夫れ高明至賢、徳行全誠、我を道を以て耽しませ、我を仁を以て説ばしめ、我が行ひを暴かに浣ひ、我が名を昭明にし、我をして成人為らしめし者は、吾以て上賞と為さん。我を礼を以て防ぎ、我を誼を以て諫め、我を蕃援して我をして非を為すを得ざらしめ、数々我を賢人の門に引きて請ひし者は、吾以て次賞と為さん。夫れ勇壮強禦、難前に在れば則ち前に居り、難後に在れば則ち後に居り、我を患難の中より免れしめし者は、吾又以て之が次と為さん。且つ子独り聞かざるか、人を死せしむる者は、人の身を存するに如かず、人を亡ぼす者は、人の国を存するに如かず、三行の賞の後にして、労苦の士之に次ぐ、夫れ労苦の士は、是れ子固に首為り、豈に敢へて子を忘れんや」と。周の内史叔輿之を聞きて曰く、「文公其れ霸たらんか。昔聖王は徳を先にして力を後にす、文公其れ之に当れり、詩に云く、『率履越えず』とは、此を之れ謂ふなり」と。晋の文公国に入るに、河に至り、籩豆茵席を棄てしめ、顔色黎黒、手足胼胝せる者を後に在らしむ、咎犯之を聞き、中夜にして哭す、文公曰く、「吾亡ぐること十有九年なり、今将に国に反らんとするに、夫子喜ばずして哭するは、何ぞや、其れ吾が国に反るを欲せざるか」と。対へて曰く、「籩豆茵席は、官する所以なるに、之を棄て、顔色黎黒、手足胼胝せるは、労苦を執る所以なるに、皆之を後にす、臣聞く、国君士を蔽へば、忠臣を取る所無く、大夫遊を蔽へば、忠友を取る所無し、と。今国に至るに、臣蔽ふ所の中に在り、其の哀しみに勝へず、故に哭するなり」と。文公曰く、「禍福利害咎氏と之を同じくせざれば、白水有るが如し」と、之を祝して、璧を刀にて沈めて盟す。介子推曰く、「献公の子九人、唯だ君のみ在るのみ、天未だ晋を絶たず、必ず主有らん、晋祀を主る者君に非ずして何ぞや、唯だ二三子の者以て己が力と為すは、亦た誣ならずや」と。文公即位するも、賞推に及ばず、推が母曰く、「盍ぞ亦た之を求めざる」と。推曰く、「尤めて之に效はば、罪又甚し、且つ怨言を出だせば、其の食を食らはず」と。其の母曰く、「亦た知らしめよ」と。推曰く、「言は身の文なり、身将に隠れんとす、安んぞ文を用ゐん」と。其の母曰く、「能く是の如くんば、若と俱に隠れん」と。死に至るまで復た推に見えず。従者之を憐みて、乃ち書を宮門に懸けて曰く、「龍有り矯矯たり、頃其の所を失ふ、五蛇之に従ひ、天下を周遍す、龍飢ゑて食無し、一蛇股を割く、龍其の淵に反り、其の壤土に安んず、四蛇穴に入り、皆処る所有り、一蛇穴無く、中野に号す」と。文公出でて書を見て曰く、「嗟此れ介子推なり、吾方に王室を憂ひて其の功を図らず」と。人をして之を召さしむるに則ち亡ぐ、遂に其の在る所を求む、其の綿上山中に入るを聞く。是に於て文公綿上山中を表して之を封じ、以て介推の田と為し、号して介山と曰ふ。
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