新序 / 節士第七
已脱程嬰謂杵臼曰:「今一索不得,後必且復之,奈何?」杵臼曰:「立孤與死,孰難?」嬰曰:「立孤亦難耳!」杵臼曰:「趙氏先君遇子厚,子强為其難者,吾為其易者,吾請先死。」而二人謀取他嬰兒,負以文褓匿山中。嬰謂諸將曰:「嬰不肖,不䏻立孤,誰䏻與吾千金,吾告趙氏孤處。」諸將皆喜,許之,發師隨嬰攻杵臼。杵臼曰:「小人哉程嬰!下宫之難不能死,與我謀匿趙氏孤兒,今又賣之。縱不能立孤兒,忍賣之乎?」抱而呼天乎趙氏孤兒何罪?請活之,獨殺杵臼也。」諸將不許,遂并殺杵臼與兒。
新字:已脱程嬰謂杵臼曰:「今一索不得,後必且復之,奈何?」杵臼曰:「立孤与死,孰難?」嬰曰:「立孤亦難耳!」杵臼曰:「趙氏先君遇子厚,子強為其難者,吾為其易者,吾請先死。」而二人謀取他嬰児,負以文褓匿山中。嬰謂諸将曰:「嬰不肖,不䏻立孤,誰䏻与吾千金,吾告趙氏孤処。」諸将皆喜,許之,発師随嬰攻杵臼。杵臼曰:「小人哉程嬰!下宮之難不能死,与我謀匿趙氏孤児,今又売之。縦不能立孤児,忍売之乎?」抱而呼天乎趙氏孤児何罪?請活之,独殺杵臼也。」諸将不許,遂并殺杵臼与児。
書き下し
已に脱す。程嬰杵臼に謂いて曰く、今一たび索めて得ず。後必ず且つ之を復せん。奈何、と。杵臼曰く、孤を立つると死すると、孰れか難き、と。嬰曰く、孤を立つるは亦た難きのみ、と。杵臼曰く、趙氏の先君子を遇すること厚し。子强いて其の難き者を爲せ。吾其の易き者を爲さん。吾請う先ず死せん、と。而して二人謀りて他の嬰兒を取り、負うに文褓を以てして山中に匿す。嬰諸將に謂いて曰く、嬰不肖なり。孤を立つる能わず。誰か能く吾に千金を與えん。吾趙氏の孤の處を吿げん、と。諸將皆な喜び、之を許す。師を發して嬰に隨いて杵臼を攻む。杵臼曰く、小人なるかな程嬰。下宮の難に死する能わず、我と趙氏の孤兒を匿すを謀り、今又た之を賣る。縱い孤兒を立つる能わずとも、之を賣るに忍びんや、と。抱きて天に呼ばく、趙氏の孤兒何の罪かある。請う之を活かせ。獨り杵臼を殺せ、と。諸將許さず。遂に杵臼と兒とを并せ殺す。
現代語訳
難を逃れた。程嬰は杵臼に言った。「いま一度捜して見つからなかった。後に必ずまた捜すだろう。どうする」。杵臼は言った。「孤児を立てるのと死ぬのと、どちらが難しいか」。嬰は言った。「孤児を立てるほうが難しい」。杵臼は言った。「趙氏の亡き主はあなたを厚く遇した。あなたは無理をしてでも難しいほうをやれ。私は易しいほうをやろう。私が先に死なせてもらう」。そこで二人は謀って他人の赤子をもらい受け、あやの産着に包んで山中に隠した。嬰は諸将に言った。「私は至らぬ者だ。孤児を立てられない。誰か私に千金をくれる者はいないか。私は趙氏の孤児のいる場所を教えよう」。諸将はみな喜び、これを承知した。軍を出して嬰に従い杵臼を攻めた。杵臼は言った。「小人だな程嬰。下宮の難で死ぬこともできず、私と趙氏の孤児を隠す相談をしておいて、いままたこれを売るのか。たとえ孤児を立てられなくとも、これを売るに忍びるものか」。抱えて天に叫んだ。「趙氏の孤児に何の罪がある。どうかこれを生かしてくれ。杵臼だけを殺せ」。諸将は許さなかった。そのまま杵臼と赤子をともに殺した。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』大取指を斷つと腕を斷つと、天下を利すること相い若くんば、擇ぶこと無きなり。死と生と利、若ければ、一に擇ぶこと無し。一人を殺して以て天下を存するは、一人を殺して以て天下を利するに非ざるなり。已を殺して以て天下を存するは、是れ己を殺して以て天下を利するなり。事為の中に於いて輕重を權る、之を求と謂う。求は之を為すも非なり。害の中に小を取り、義を為さんことを求むるは、義を為すに非ざるなり。暴人の為に天の是を為すを語らんや。而して性、暴人の為にせば、天の非を為すを歌うなり。諸そ陳執、既に為す所有りて、我れ之を為さば、陳執の執る所の為す所は、吾が為す所に因るなり。若し陳執、未だ為す所有らずして、我れ之を陳執に為さば、陳執は吾が為す所に因るなり。暴人、我が為に、天の人を以てするを為すは、是を為すに非ざるなり。而して性、正す可からずして之を正す。
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呂氏春秋・仲秋③是の月や、乃ち宰祝に命じて、犠牲を巡行せしむ。全具を視、芻豢を案じ、肥瘠を瞻、物色を察し、必ず比類して、大小を量り、長短を視、皆度に中らしむ。五つの者備に當りて、上帝其れ享く。天子乃ち儺して、佐疾を禦ぎ、以て秋氣を通ず。犬を以て麻を嘗め、先づ寢廟を祭る。
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孔子家語・郊問公曰わく:「其れ郊と言うは、何ぞや。」孔子曰わく:「丘を南に兆すは、陽位に就く所以なり。郊に於てす、故に之を郊と謂う。」曰わく:「其の牲器は何如。」孔子曰わく:「上帝の牛は角璽栗にして、必ず滌に在ること三月。后稷の牛は唯だ具うるのみ、天神と人鬼とに事うるを別つ所以なり。牲は骍を用う、赤を尚べばなり。犢を用うるは、誠を貴べばなり。地を掃いて祭るは其の質なり。器は陶匏を用う、天地の性に象る以てなり。萬物之に稱う可き者無し、故に其の自然の體に因るなり。」
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史記 刺客列伝秦将王翦趙を破り、趙王を虜にし、尽く其の地を収め入れ、兵を進めて北のかた地を略して燕の南界に至る。太子丹恐懼し、乃ち荊軻に請ひて曰く、「秦兵旦暮に易水を渡らば、則ち長く足下に侍せんと欲すと雖も、豈に得べけんや」と。荊軻曰く、「太子の言微くとも、臣之を謁せんと願へり。今行きて信毋くんば、則ち秦未だ親しむべからざるなり。夫の樊将軍は、秦王之を金千斤、邑万家に購ふ。誠に樊将軍の首と燕の督亢の地図とを得て、秦王に奉献せば、秦王必ず説びて臣に見えん。臣乃ち以て報ずる有るを得ん」と。太子曰く、「樊将軍は窮困して来りて丹に帰す。丹己の私を以て長者の意を傷つくるに忍びず。願はくは足下更に之を慮れ」と。荊軻、太子の忍びざるを知り、乃ち遂に私かに樊於期に見えて曰く、「秦の将軍を遇すること深しと謂ふべし。父母宗族皆戮没せらる。今聞く、将軍の首を金千斤、邑万家に購ふと。将に柰何せんとする」と。於期天を仰ぎて太息し流涕して曰く、「於期念ふ毎に、常に骨髄に痛む。顧だ計の出づる所を知らざるのみ」と。荊軻曰く、「今一言以て燕国の患ひを解き、将軍の仇を報ずべき者有り。何如」と。於期乃ち前みて曰く、「之を為すこと柰何」と。荊軻曰く、「願はくは将軍の首を得て以て秦王に献ぜん。秦王必ず喜びて臣に見えん。臣左手に其の袖を把り、右手に其の匈を揕さば、然らば則ち将軍の仇報いられて燕の陵がるるの愧ぢ除かれん。将軍豈に意有りや」と。樊於期偏袒搤捥して進みて曰く、「此れ臣の日夜切歯腐心する所なり。乃ち今教へを聞くを得たり」と。遂に自剄す。太子之を聞き、馳せ往き、尸に伏して哭し、極めて哀しむ。既已に柰何ともすべからず、乃ち遂に樊於期の首を盛り、之を函封す。
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