新序 / 節士第七
桀為酒池,足以運舟,糟丘,足以望七里,一鼓而牛飲者三千人。關龍逢進諫曰:「為人君,身行禮義,愛民節財,故國安而身夀也。今君用財若無盡,用人若恐不能死,不革,天禍必降,而誅必至矣,君其革之。」立而不去朝,桀因囚拘之,君子聞之曰:「末之命矣夫。」
新字:桀為酒池,足以運舟,糟丘,足以望七里,一鼓而牛飲者三千人。関竜逢進諫曰:「為人君,身行礼義,愛民節財,故国安而身寿也。今君用財若無尽,用人若恐不能死,不革,天禍必降,而誅必至矣,君其革之。」立而不去朝,桀因囚拘之,君子聞之曰:「末之命矣夫。」
書き下し
桀酒池を爲る。以て舟を運らすに足る。糟丘、以て七里を望むに足る。一たび鼓して牛飲する者三千人。關龍逢進み諫めて曰く、人君と爲りては、身ら禮義を行い、民を愛し財を節す。故に國安くして身壽きなり。今君の財を用うるは盡くる無きが若く、人を用うるは死する能わざるを恐るるが若し。革めずんば、天禍必ず降りて、誅必ず至らん。君其れ之を革めよ、と。立ちて朝を去らず。桀因りて之を囚拘す。君子之を聞きて曰く、之を末うるの命なるかな、と。
現代語訳
桀は酒の池を作った。舟を浮かべられるほどであった。酒かすの丘は、七里先を望めるほどであった。ひとたび太鼓を打てば牛のように飲む者が三千人。関龍逢が進み出て諫めた。「人の君となるには、自ら礼義を行い、民を愛し財を節する。だから国は安らかで身は長らえるのです。いま君の財の使い方は尽きることがないかのようで、人の使い方は死なせられないことを恐れるかのようです。改められなければ、天の禍いが必ず降り、誅罰が必ず至りましょう。君、どうかこれを改めてください」。立ったまま朝廷を去らなかった。桀はそこでこれを捕らえ拘束した。君子はこれを聞いて言った。「これを終わらせる運命であったか」。
解説
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