新序 / 善謀第十
髙皇帝疑,問左右大臣,皆山東人,多勸上都雒陽,東有成臯西有肴澠,倍河海,嚮伊洛,其固亦足恃,且周王數百年,秦二世而亡,不如都周。留侯張子房曰:「雒陽雖有此固,國中小不過數百里,田地狹,四面受敵,此非用武之國。夫闗中左肴函,右隴蜀,沃野千里,南有巴蜀之饒,北有胡苑之利,阻三面,守一隅,東向制諸侯,諸侯安定,河渭漕輓天下西給京師;諸侯有變,順流而下,足以委輸,此所謂金城千里,天府之國也。婁敬說是也。」於是髙皇帝即日駕,西都關中,由是國家安寧。雖彭越、陳豨、盧綰之謀,九江燕代之兵,及呉楚之難,闗東之兵,雖百萬之師,猶不能以為害者,由保仁德之惠,守闗中之固也。國以永安,婁敬、張子房之謀也。上曰:「言本都秦地者,婁敬也。婁者乃劉也。」賜姓劉氏,拜為郎中,號曰奉春君,後卒為建信侯。
新字:高皇帝疑,問左右大臣,皆山東人,多勧上都雒陽,東有成臯西有肴澠,倍河海,嚮伊洛,其固亦足恃,且周王数百年,秦二世而亡,不如都周。留侯張子房曰:「雒陽雖有此固,国中小不過数百里,田地狭,四面受敵,此非用武之国。夫関中左肴函,右隴蜀,沃野千里,南有巴蜀之饒,北有胡苑之利,阻三面,守一隅,東向制諸侯,諸侯安定,河渭漕輓天下西給京師;諸侯有変,順流而下,足以委輸,此所謂金城千里,天府之国也。婁敬説是也。」於是高皇帝即日駕,西都関中,由是国家安寧。雖彭越、陳豨、盧綰之謀,九江燕代之兵,及呉楚之難,関東之兵,雖百万之師,猶不能以為害者,由保仁徳之恵,守関中之固也。国以永安,婁敬、張子房之謀也。上曰:「言本都秦地者,婁敬也。婁者乃劉也。」賜姓劉氏,拝為郎中,号曰奉春君,後卒為建信侯。
書き下し
高皇帝疑い、左右の大臣に問う。皆な山東の人なり。多く上に雒陽に都せんことを勸む。東に成皋有り西に肴・澠有り、河海に倍き、伊・洛に嚮かう。其の固も亦た恃むに足る。且つ周は數百年王たり、秦は二世にして亡ぶ。周に都するに如かず、と。留侯張子房曰く、雒陽此の固有りと雖も、國中小さく數百里に過ぎず。田地狹く、四面に敵を受く。此れ武を用うるの國に非ず。夫れ關中は左に肴・函、右に隴・蜀、沃野千里なり。南に巴蜀の饒有り、北に胡苑の利有り。三面に阻り、一隅を守り、東に向かいて諸侯を制す。諸侯安定せば、河・渭に漕輓して天下西のかた京師に給す。諸侯變有らば、流れに順いて下り、以て委輸するに足る。此れ所謂金城千里、天府の國なり。婁敬の說是なり、と。是に於いて高皇帝即日駕し、西のかた關中に都す。是に由りて國家安寧なり。彭越・陳豨・盧綰の謀、九江・燕・代の兵、及び吳楚の難、關東の兵、百萬の師と雖も、猶お以て害を爲す能わざる者は、仁德の惠を保ち、關中の固を守るに由るなり。國以て永く安し。婁敬・張子房の謀なり。上曰く、本ミ秦の地に都せんことを言いし者は、婁敬なり。婁なる者は乃ち劉なり、と。姓を劉氏に賜い、拜して郎中と爲す。號して奉春君と曰う。後に卒に建信侯と爲る。
現代語訳
高皇帝は迷い、側近の大臣に尋ねた。みな山東の人であった。多くが上に洛陽に都することを勧めた。「東に成皋があり西に肴と澠があり、黄河と海を背にし、伊水と洛水に向かう。その固めも頼むに足ります。そのうえ周は数百年王であり、秦は二代で滅びました。周にならって都するに越したことはありません」。留侯の張子房は言った。「洛陽にこの固めがあるといっても、国の中は小さく数百里に過ぎません。田地は狭く、四方から敵を受けます。これは武を用いる国ではありません。そもそも関中は左に肴と函谷、右に隴と蜀、肥沃な野が千里です。南に巴蜀の豊かさがあり、北に胡の牧場の利がある。三方が塞がり、一隅を守り、東に向かって諸侯を制します。諸侯が安定していれば、黄河と渭水で運んで天下が西の都に供給します。諸侯に変事があれば、流れに従って下って、物資を送るに足ります。これがいわゆる金城千里、天の蔵の国です。婁敬の説が正しい」。そこで高皇帝はその日のうちに車を出し、西の関中に都した。これによって国家は安らかであった。彭越・陳豨・盧綰の謀、九江・燕・代の兵、および呉楚の乱、関東の兵、百万の軍であっても、害をなせなかったのは、仁徳の恵みを保ち、関中の固めを守ったからである。国はそれで永く安らかであった。婁敬と張子房の謀である。上は言った。「もともと秦の地に都せよと言ったのは、婁敬である。婁というのは劉である」。姓を劉氏と賜り、任じて郎中とした。奉春君と号した。後にとうとう建信侯となった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孫子・作戦篇孫子曰く、凡そ兵を用うるの法は、馳車千駟、革車千乗、帯甲十万、千里に糧を饋る。則ち内外の費、賓客の用、膠漆の材、車甲の奉、日に千金を費やし、然る後に十万の師挙がるなり。
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孫子・行軍篇奔走して兵を陳ぬる者は、期するなり。半ば進み半ば退く者は、誘うなり。
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三略・上略軍讖に曰く、兵を用うるの要は、必ず先ず敵情を察し、其の倉庫を視、其の糧食を度り、其の強弱を卜し、其の天地を察し、其の空隙を伺う、と。故に国に軍旅の難無くして糧を運ぶ者は、虚なり。民に菜色ある者は、窮なり。千里に糧を饋れば、士に飢色有り。樵蘇して後に爨げば、師は宿として飽かず。夫れ糧を千里に運びて一年の食無く、二千里にして二年の食無く、三千里にして三年の食無きを、是を国虚と謂う。国虚なれば、則ち民貧し。民貧しければ、則ち上下親しまず。敵は其の外を攻め、民は其の内に盗む。是を必潰と謂う。
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孫子・作戦篇兵を善く用うる者は、役に再び籍せず、糧を三たび載せず。国に用を取り、敵に因りて糧をし、故に軍食足るべし。
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孟子・離婁章句下曾子、武城に居る。越の寇有り。或ひと曰く、「寇至る、盍ぞ諸を去らざるや。」曰く、「人を我が室に寓し、其の薪木を毀傷すること無かれ。」寇退けば、則ち曰く、「我が牆屋を修めよ。我將に反らんとす。」寇退き、曾子反る。左右曰く、「先生を待つこと、此の如く其れ忠にして且つ敬なり。寇至れば、則ち先づ去りて以て民の望みを為し、寇退けば則ち反る。不可なるに殆(ちかい)し。」沈猶行曰く、「是れ汝の知る所に非ざるなり。昔、沈猶、負芻の禍い有り。先生に従う者七十人、未だ與ること有らず。」子思、衛に居る。齊の寇有り。或ひと曰く、「寇至る。盍そ諸を去らざるや。」子思曰く、「如し伋去らば、君誰と與にか守らん。」孟子曰く、「曾子・子思は道を同じくす。曾子は師なり、父兄也なり。子思は臣なり、微なり。曾子・子思、地を易うれば則ち皆然り。」
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言志四録・南洲手抄晦に処る者は能く顕を見る。顕に拠る者は晦を見ず。