新序 / 雜事第四
梁嘗有疑獄,羣臣半以為當罪,半以為無罪,雖梁王亦疑。梁王曰:「陶之朱公,以布衣富侔國,是必有竒智。」乃召朱公而問曰:「梁有疑獄,獄吏半以為當罪,半以為不當罪,雖寡人亦疑,吾子決是柰何?」朱公曰:「臣鄙民也,不知當獄,雖然,臣之家有二白璧,其色相如也,其徑相如也,其澤相如也。然其價一者千金,一者五百金。」王曰:「徑與色澤相如也,一者千金、一者五百金,何也?」朱公曰:「側而視之,一者厚倍,是以千金。」梁王曰:「善。」故獄疑則從去,賞疑則從與,梁國大悦。由此觀之,墻薄則亟壞,繒薄則亟裂,器薄則亟毁,酒薄則亟酸。夫薄而可以曠日持久者,殆未有也。故有國畜民施政教者,宜厚之而可耳。
新字:梁嘗有疑獄,羣臣半以為当罪,半以為無罪,雖梁王亦疑。梁王曰:「陶之朱公,以布衣富侔国,是必有奇智。」乃召朱公而問曰:「梁有疑獄,獄吏半以為当罪,半以為不当罪,雖寡人亦疑,吾子決是柰何?」朱公曰:「臣鄙民也,不知当獄,雖然,臣之家有二白璧,其色相如也,其径相如也,其沢相如也。然其価一者千金,一者五百金。」王曰:「径与色沢相如也,一者千金、一者五百金,何也?」朱公曰:「側而視之,一者厚倍,是以千金。」梁王曰:「善。」故獄疑則従去,賞疑則従与,梁国大悦。由此観之,墻薄則亟壊,繒薄則亟裂,器薄則亟毀,酒薄則亟酸。夫薄而可以曠日持久者,殆未有也。故有国畜民施政教者,宜厚之而可耳。
書き下し
梁に嘗て疑獄有り。羣臣半ばは以て罪に當たると爲し、半ばは以て罪無しと爲す。梁王と雖も亦た疑う。梁王曰く、陶の朱公は、布衣を以て富國に侔し。是れ必ず奇智有らん、と。乃ち朱公を召して問いて曰く、梁に疑獄有り。獄吏半ばは以て罪に當たると爲し、半ばは以て罪に當たらずと爲す。寡人と雖も亦た疑う。吾子是を決すること柰何、と。朱公曰く、臣は鄙民なり。獄に當たるを知らず。然りと雖も、臣の家に二の白璧有り。其の色相い如し。其の徑相い如し。其の澤相い如し。然れども其の價は、一は千金、一は五百金なり、と。王曰く、徑と色澤と相い如きに、一は千金、一は五百金とは、何ぞや、と。朱公曰く、側にして之を視れば、一は厚きこと倍なり。是を以て千金なり、と。梁王曰く、善し、と。故に獄疑わしければ則ち去るに從い、賞疑わしければ則ち與うるに從う。梁國大いに悦ぶ。此に由りて之を觀れば、牆薄ければ則ち亟かに壞れ、繒薄ければ則ち亟かに裂け、器薄ければ則ち亟かに毀れ、酒薄ければ則ち亟かに酸し。夫れ薄くして以て日を曠しくし久しきを持つ可き者は、殆ど未だ有らざるなり。故に國を有ち民を畜い政教を施す者は、宜しく之を厚くして可なるのみ。
現代語訳
梁でかつて判断のつかない裁判があった。群臣の半分は罪に当たるとし、半分は罪がないとした。梁王でさえ迷った。梁王は言った。「陶の朱公は、庶民の身で国に並ぶほど富んだ。これは必ず並外れた知恵があるのだろう」。そこで朱公を召して問うた。「梁に判断のつかない裁判がある。裁判官の半分は罪に当たるとし、半分は罪に当たらないとする。私でさえ迷っている。あなたはこれをどう決めるか」。朱公は言った。「臣は田舎者です。裁判のことは分かりません。しかしながら、臣の家に二つの白い璧がございます。その色は同じです。その直径も同じです。そのつやも同じです。それなのにその値は、一方が千金、一方が五百金です」。王は言った。「直径も色つやも同じなのに、一方が千金、一方が五百金とは、どういうわけか」。朱公は言った。「横から見れば、一方は厚さが倍あります。だから千金なのです」。梁王は言った。「もっともだ」。だから裁判で疑わしければ罪を去るほうに従い、賞で疑わしければ与えるほうに従った。梁の国は大いに悦んだ。ここから見ると、垣が薄ければすぐに崩れ、絹が薄ければすぐに裂け、器が薄ければすぐに壊れ、酒が薄ければすぐに酸っぱくなる。そもそも薄くて長い年月を持ちこたえられるものは、まずありはしない。だから国を保ち民を養い政教を施す者は、厚くしてこそよいのである。
解説
この章句が説くこと
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