新序 / 雜事第二
武王勝殷,得二虜而問焉。曰:「而國有妖乎?」一虜答曰:「吾國有妖,晝見星而雨血,此吾國之妖也。」一虜答曰:「此則妖也,雖然,非其大者也。吾國之妖,其大者子不聽父,弟不聽兄,君令不行,此妖之大者也。」
新字:武王勝殷,得二虜而問焉。曰:「而国有妖乎?」一虜答曰:「吾国有妖,昼見星而雨血,此吾国之妖也。」一虜答曰:「此則妖也,雖然,非其大者也。吾国之妖,其大者子不聴父,弟不聴兄,君令不行,此妖之大者也。」
書き下し
武王殷に勝ち、二虜を得て焉に問う。曰く、而の國に妖有りや、と。一虜答えて曰く、吾が國に妖有り。晝に星を見て血を雨らす。此れ吾が國の妖なり、と。一虜答えて曰く、此れ則ち妖なり。然りと雖も、其の大なる者に非ざるなり。吾が國の妖、其の大なる者は、子父に聽かず、弟兄に聽かず、君の令行われず。此れ妖の大なる者なり、と。
現代語訳
武王が殷に勝ち、二人の捕虜を得て問うた。「そなたの国に妖しいことはあったか」。一人の捕虜が答えた。「わが国には妖しいことがありました。昼間に星が見え、血の雨が降りました。これがわが国の妖しいことです」。もう一人の捕虜が答えた。「それも確かに妖しいことです。しかし、大きなほうではありません。わが国の妖しいことで大きなほうは、子が父の言うことを聞かず、弟が兄の言うことを聞かず、君の命令が行われないことです。これが妖しいことの大きなほうです」。
解説
同じ問いに、二人の捕虜が別のものを挙げました。一人目は天変です。昼間に星が見え、血の雨が降りました。二人目はそれを否定していません。ただし順位を付け直します。それも確かに妖しいことです。しかし、大きなほうではありません。そして挙げたのは、天ではなく人のあいだのことでした。子が父の言うことを聞かず、弟が兄の言うことを聞かず、君の命令が行われない。目に見える異変より、通らなくなった言葉のほうが大きい、と。
この章句が説くこと
武王殷に勝ち二虜を得て焉に問う而の国に妖有りや昼に星を見て血を雨らす此れ吾が国の妖なり此れ則ち妖なり然りと雖も其の大なる者に非ざるなり子父に聴かず弟兄に聴かず君の令行われず此れ妖の大なる者なり兆し秩序
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