新序 / 善謀第十
於是吕澤立夜見吕后吕后承間為上泣而言,如四人意。上曰:「吾惟豎子,故不足遣,乃公自行耳。」於是上自將東,羣臣居守,皆送至霸上。留侯疾,强起至曲郵見上曰:「臣宜從,疾甚,楚人剽疾,願上無與楚人爭鋒。」因説上曰:「令太子為將軍,監闗中諸侯兵。」上謂子房雖疾,强起卧而傅太子,是時叔孫通已為太子太傅,留侯行少傅事。漢遂誅黥布,太子安寧,國家晏然,此四公之謀也。
新字:於是呂沢立夜見呂后呂后承間為上泣而言,如四人意。上曰:「吾惟豎子,故不足遣,乃公自行耳。」於是上自将東,羣臣居守,皆送至覇上。留侯疾,強起至曲郵見上曰:「臣宜従,疾甚,楚人剽疾,願上無与楚人争鋒。」因説上曰:「令太子為将軍,監関中諸侯兵。」上謂子房雖疾,強起臥而傅太子,是時叔孫通已為太子太傅,留侯行少傅事。漢遂誅黥布,太子安寧,国家晏然,此四公之謀也。
書き下し
是に於いて呂澤立ちどころに夜呂后に見ゆ。呂后間を承けて上の爲に泣きて言うこと、四人の意の如し。上曰く、吾惟うに豎子は、故に遣るに足らず。乃公自ら行かんのみ、と。是に於いて上自ら將いて東す。羣臣居守す。皆な送りて霸上に至る。留侯疾む。强いて起ちて曲郵に至り上に見えて曰く、臣宜しく從うべし。疾甚だし。楚人は剽疾なり。願わくは上楚人と鋒を爭う無かれ、と。因りて上に說きて曰く、太子をして將軍と爲し、關中の諸侯の兵を監せしめよ、と。上子房疾むと雖も、强いて起ちて卧して太子に傅たらしむ。是の時叔孫通已に太子の太傅と爲る。留侯少傅の事を行う。漢遂に黥布を誅す。太子安寧、國家晏然たり。此れ四公の謀なり。
現代語訳
そこで呂沢はただちに夜に呂后に会った。呂后は折を見て上の前で泣いて言うこと、四人の考えのとおりであった。上は言った。「私が思うに、あの小僧はやはり遣るに足りない。父である私が自分で行くだけだ」。そこで上は自ら率いて東へ出た。群臣は留守を守った。みな見送って霸上に至った。留侯は病んでいた。無理に起きて曲郵に至り、上に会って言った。「臣はお供すべきです。病が重い。楚の人はすばやい。どうか上は楚の人と鋒先を争われませんように」。そのうえで上に説いて言った。「太子を将軍として、関中の諸侯の兵を監督させてください」。上は、子房は病んでいるが、無理に起きて寝たままでも太子の傅役をせよと言った。このとき叔孫通はすでに太子の太傅であった。留侯は少傅の職務を行った。漢はそのまま黥布を誅した。太子は安らかであり、国家は落ち着いていた。これが四人の謀である。
解説
この章句が説くこと
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